yumi

本気じゃないんじゃないのか

ふと思った。台所仕事をしながら。

お前、ホントは本気じゃないんじゃないか?

と。

 

普段、あんなにお金が欲しいと願っていて、自分で稼ぎたいと思っていて、自立したいと望んでいるくせに。

 

実は本気じゃないんじゃないか。実はこのままでいいと思ってるんじゃないのか?買いもしない宝くじが当たるとか、ありもしない遺産相続があって、たなぼた的にお金持ちになりたいとか、そんな都合のいい事を思ってるんじゃないのか。そうじゃないなら別にこのままでいいやとか思ってるんじゃないのか。あるいは結局、夫が何とかしてくれるって思ってるんじゃないのか。どうなんだ、ええ?

 

文章だってそうだ。文章でお金を稼ぎたいとか吹聴しているようだが、それ本気か?実は本気じゃないんじゃないのか。本気じゃないから意外そうに「マネタイズしたいんだ?」とか言われるんじゃないのか。

 

私、本気出せば出来たはずだとは思うんだけど、なんかイマイチ気がのらなくてやらなかったんだよね

 

とか言いながら死にたいのか?「本当は才能があったかもしれない可能性」を残して死にたいのか。そのことに、何か意味があるのか。人生かける意味があるのか。自分に才能がないかもしれないのを、確かめるのが怖いんじゃないのか。ビビってるだけなんじゃないのか。どうなんだ、ええ?

 

ああそうだ。そこは認めなくてはならないだろう。自分には才能がないかもしれない。それを確かめるのは怖い。自分を覗きこんで、空っぽだったらどうしてくれるんだ。

 

お前のその、ミジンコみたいなプライドはどうにかならないものか。中島敦の「山月記」を読め。もう一度読め。臆病な自尊心と尊大な羞恥心。よくその手を見てみろ。爪がとがってきてやしないか。どこかしら、毛深くなってきてはいないか。虎になりかけてはいないか。

 

一日たてば、一日歳をとる。そうこうしているうちに、日々命はすり減っているのだ。そんなどうでもいい自尊心を守ることに、命を使い果たすつもりか。

 

ああそうか、こうして自問する過程をさえ、晒す気になったのか。どうやら全く本気じゃない訳じゃないらしい。

 

お前が空っぽだと分かったら、またそこから何かを始めればいい。空っぽの器には、きっと何かが入るはずだ。なにしろ空っぽなのだから。

 

空っぽだったら、その時こそ周りを見ろ。空っぽのお前を見捨てずにいてくれる人がいるはずだ。きっといるはずだ。その人たちを大切にして、また歩きはじめろ。

 

やるしかない。やるしかない。まずは自分を精いっぱい、試せ。時間はもう、あまりない。怖さを打ち抜け。恥ずかしさを、乗り越えろ。