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あの時のおばちゃん

同僚が、このところ凄い勢いでいろんなことを始めている。習い事や旅行などなど。

聞いてみると、周りの人に触発されて、昔やっていたことを再開したり、やりたかったことを始めたりしているのだという。

「私の友達なんて、車の免許取りに行って、こんど車買おうとしてるからねえ。それに比べたら私なんてかわいいもんよ」

だ、そうだ。そして彼女は続けた。

「要は、私も周りも50歳へのカウントダウンが始まって、焦ってるのよね。私の人生これでよかったのか、何かもっとやれることはあったんじゃないか、って。あがき、あがき」

なるほど、私もあと数年したらそんな心境になるのか。別の同僚も言う。

「私、50はなんてことないけど、40になる時、意味もなくものすごく焦ったわ。あれ、なんだったんだろう?」

かくいう私も40になる時に「これでいいのか?」と思って焦った。もっと40歳というのは充実、成熟していて、大人の余裕というものを漂わせた、婦人画報や家庭画報に出てくるような素敵な人間になっている「予定」だったのに。あの時の焦りがまた来るのかと思うと、ちょっと憂鬱だ。しかもよく考えたら、私は自分が50歳になることをこれまで想定してこなかったのである。未知。大丈夫か私。

「それで私、昔やってたヨガを再開して、いきたかった旅行に行って、今度は娘とコンサートに行くことにしたの」

と、同僚は笑った。なるほど、それは羨ましい。と、そんな思いとは裏腹に、私の口は「良かったよ、離婚して人生リセット、とか考えてなくて」と言っていた。言ってしまってからなぜそんなことを、と考える。そう、思い当たることがあったからだ。

 

 

小学校からの同級生に、ママが若いのが自慢、という子がいた。「ママは20歳で私を産んだ」という自慢を、授業参観の度にされたものだ。その子とは割と仲が良かったので、家にもよく遊びに行ったし、両親にもかわいがってもらった。ママは確かに若くて美人で面倒見がよく、私もとても好きだった。パパもシュッとしていてスマートで、こちらも私は好きだった。子供心に、華やかで美しい家庭だと思っていた。

24、5歳になったころだったろうか、その子が結婚するという話と、両親が離婚するという話が同時に飛び込んできた。驚く私に、そのニュースをもたらした友達は、ため息交じりに

「言いたくないけどさ、なんで娘が結婚する二週間前に離婚するかねえ」と言った。おばちゃん、どうした?あんなに仲良さそうだったのに、と私は訝しんだ。

まあとにかく結婚するという事なので、久しぶりにその子と連絡を取り、家にお祝いを持って行った。久しぶりのその家は、相変わらず広くてお洒落だったが、これまでと違って友人一人がいるだけで、なんとなくがらんとして薄暗かった。

帰り際、玄関で靴を履いていると、そこに、なんとおばちゃんが立っていた。もうすでに家を出て行ったと聞いていたのでビックリする。「お久しぶりです」と言って一通りの挨拶と友達の結婚のお祝いを述べた後は、もうなんといっていいのか分からない。多分、微妙な顔をしていたと思う。おばちゃんは昔と変わらず若くてきれいで、だけどこれまでより翳りのある声で

「ちょっとね、荷物を取りに来た」

とこちらも複雑な笑顔で言った。なぜかその場に友達はおらず、わたしとおばちゃんが手持無沙汰でその場に突っ立っているような形になっていた。なんだかどうしていいのか分からない。

「なんかね、これでいいのかなって思ったのよね」

唐突に、おばちゃんが言った。「へ?」と間抜けな声を出す私に構わず「私の人生」と続ける。

「20歳であの子産んで、子育てと家事してここまで来たけど、私、それしかないのよ。これで私の人生終わるのかなって思うとね、急にどうにかしたくなったのよね」

はあ…とかなんとか、そんな相槌にもならないようなことしか言えなかった気がする。おばちゃんの心境に共感して励ませるような経験はもとよりない。それよりおばちゃんが私に言い訳をしている、ということにショックを受けていた。

私は子どもだったのに、今やおばちゃんが同等の女として、自分の生き方を私に言い訳しているんだということが衝撃だった。おばちゃんが、そんな事をしないといけないような生き方をしていることにもショックを受けたし哀しかった。それでいて、私は相変わらず子供であり、娘側の視点しか持ち合わせていなかったので、「なんで子供が結婚するまで離婚するの待たないんだよ」と、どこか恨みがましい気持ちもあった。子供時代のきれいな思い出が汚れてしまったような気がして、悲しいような、腹立たしいような思いだった。

それからしばらく経った頃、スーパーで偶然おばちゃんを見かけた。隣に、おじちゃんとは正反対のタイプの知らない男の人がいた。一緒にいた母が「あら、まああ~!!わざわざ離婚して、そのタイプなの?!」と驚いていたが、私も母と同意見だった。おばちゃん、その人がいいの?私はおじちゃんの方が好きだな、余計なお世話だけどさ、と思った。そして私たちはおばちゃんには声をかけず、こっそりその場を後にした。それ以来、あの家族とは誰とも会わない。

 

 

仕事の手をふと止めて、おばちゃん元気かな、と思った時、ハッとした。あの時、最後に会った時、私は25だったとして、おばちゃんは友達を20歳で産んだのだから45。ちょうど今の私の年頃だ。同僚は焦って、あがいて習い事を再開した。おばちゃんは焦ってあがいて離婚したのか。

あの時のおばちゃんの歳に、私がなったということに驚いた。おばちゃんはなんだかんだ言って素敵な大人だった。私は今、あんな素敵な大人になっているのだろうか。そして今ならおばちゃんの気持ちは分かるか。

分からないではないし、その選択をした背景というのがあったのだろうと慮る事も出来る。しかし万一、この先私がおばちゃんと同じ選択をしたとしても、娘の友達にそのことを言い訳したりはしないだろうと思った。そう思うと、やはりおばちゃんなりに苦しかったのか。おばちゃんは今、幸せなのだろうか。人生どうにかなったのだろうか。おじちゃんはどうしているだろう。

間もなく、私も同僚やおばちゃんの様に人生に焦りを感じる時期が来るのだろう。その時、私はどんなふうにあがくのだろうか。怖いけれど、きっと前向きに乗り越えて行けると思いたい。私の人生の予定にはなかった50歳が、予定外の素敵な場所でありますように。