itigo

マコちゃん

ドラマ「きのう何食べた?」が好きだ。原作もいいが、原作を尊敬しつつ味わいを増した演出のドラマが好きだ。

 

「きのう何食べた?」は弁護士のシロさんと美容師のケンジのゲイカップルが暮らす毎日を、食生活を中心に描いた作品だ。毎日の地に足が付いた食事はとても美味しそうで、私はすでに何度か真似して作ったし、ゲイカップルならではの悩みや葛藤が描かれた場面では、いつもほろりとさせられたり、深く共感したりしている。男女に関係なく、人と人が暮らしていくのに必要な物は何かを教えてもらっているような気がしている。

 

ドラマでは、とにかくケンジがいい、と私は思う。演じているのは大河ドラマの主役も張った内野聖陽。戦国武士だった大河ドラマとは打って変わって、隅々までオネエの入ったキャラ作りが素晴らしい。ちょっとした首の傾げ方、視線の動き、ドアの閉め方にさえ役が作り込んであって、役者っていうのはすごいものだなと思う。そうして、そんなケンジがある回で自分の事を「心はふんわり乙女」「大きくなったら女の子になると思っていた」というようなことを言うのだが、それを聞いてからというもの、私は「マコちゃん元気かなあ」と思う事が多くなった。

 

マコちゃんは、私の同級生の男の子である。背が低くてコロンとした体形で、短髪。いつも笑顔で本名はマコト君。幼稚園の年中から中学までずっと一緒だった。

 

一緒だった、と言っても田舎の公立のこと、一学年150人くらいがそのまま持ちあがるので、そのうちみんな友達みたいなものになる。マコちゃんに限らず、同じクラスになったことがあるような、ないような、という感じだ。

 

マコちゃんは、気がついたらよく一緒に遊んでいた。

私と、と言うよりは私達と。物心つく前から「お母さんごっこ」とか「ゴムとび」、もう少し大きくなると「バドミントン」なんかを一緒にやっていたように思う。あやとりもよくやった。

 

小学校も3,4年になると「男子」「女子」の意識が芽生えてきて、割と対立したりするものなのだが、マコちゃんは小さいころと変わらず「マコちゃん女の子がいい」「マコちゃん女の子になりたい」と言っていた。それは、何かと敵対して来る男子と違い、自分たち女子をリスペクトし、認めてくれる存在として大いに受け入れられ、そしてもてなされていた。

 

マコちゃんは例えば折り紙をするような場面でも、クラスのリーダー的女子に、優先的に「マコちゃん何色がいい?」と聞かれ、いつものように「マコちゃんピンクがいい♡」と答えると、「はい、じゃあピンクね」とピンク色の折り紙を渡されていた。そして

「マコちゃんピンクが好きなんだね」

「うん。マコちゃんピンク大好き。女の子はいいな」

なんていう会話が展開するのも日常茶飯事だった。私達女子も、こうすることで自分たちを褒め、認めてもらえてうれしかったのだ。

 

もらうだけではなく、マコちゃんはプレゼントも忘れない。しかも女子が喜びそうな、流行の最先端の物をみんなに気前よく配るのだ。私も一度、イチゴ柄のケースに入った流行りの紙せっけんを手洗い場でもらったことがあるが、とてもうれしかった。

 

本当に、マコちゃんがかわいいと言うものはかわいかったので、購買部に文房具を買いに行く時について来てもらう子は多かった。マコちゃんは買い物する子の横で「あらこれかわいいじゃない」「これもいいよね」と、的確なアドバイスをしてくれるのだ。そうして買った文房具は、たいてい教室に戻ると友達から「かわいい!」と言われる。マコちゃんは人気者だった。

 

マコちゃんについて印象的な記憶がある。何年生の時だったのかは覚えていないが、夏の、プールの授業の時だった。プールサイドを走ってはいけないのは鉄則だが、私の後ろでマコちゃんが駆けだしたのだ。

「あっ、マコちゃん危ないよ」

と私が言った瞬間、マコちゃんは足を滑らせ、野球のスライディングのような格好で転んだ。

「いやぁ~ん!」

と叫びながら。両手を胸の前でクロスさせながら。

私は、瞬間的にあんなポーズであんなセリフが出るのってすごい、と感心した。私だったら「うわあ」とか、何だったら「うおお」とかだろうなと思って舌を巻いた。マコちゃんには敵わない。何かに負けたと思った。今にして思えばその「何か」は「女子力」というものにほかならないのだが。

 

高学年になって、外で遊ぶような機会が減っても、マコちゃんは相変わらずいつもリーダー的な女子と一緒だった。昼休みは教室で学年の噂話や恋バナに花を咲かせているのをよく見かけた。

 

マコちゃんは情報通で、その上人物観察も鋭かった。女子の悪口はとても辛辣だったし、恋愛相談を受けても、「あの男はやめといたほうがいい」などとマコちゃんならではの視点で鋭いアドバイスをしていた。特に男子の批評については、女子の知り得ない情報をたくさん持っていたので、みんなマコちゃんを無視できなかった。

 色んな意味で、マコちゃんは本当に女子力が高く、私なんかはもう、遠くからキラキラ女子を眺めるかのように見ているだけだった。

 

時の流れは止まらない。私達は、中学生になってしまった。

入学式でマコちゃんの詰襟姿を見たとき、「あれ?」と思った。初めて違和感を覚えた。そして、まぁ確かにセーラー服を着るわけにはいかないか、と私は自分を納得させた。おそらくこの時、私はほとんど初めて、マコちゃんは男性なのだという、社会的な規定を目の当たりにしたのだと思う。これまでもマコちゃんは、確かにスカートなどをはいたことはなく、大抵は半ズボンにTシャツ、色も白とか青とかで、あれほど好きなピンクを着ていたことなどないのだけれど、でもそれは、制服とはまた意味合いが違っていた。なんとなく、気の毒に思った。

 

1年の頃はまだ良かったが、学年が上がり、ある時マコちゃんが声変わりしていることに気がついて私は驚いた。ふとした時に見えた横顔のその顎に、ヒゲらしき物を見つけて「マコちゃんに髭が生えるんだ!!」とびっくりした。さらにはその低くなった声で、これまで自分の事を「マコちゃん」としか言わなかった彼が「俺」と言ったことにも一抹の寂しさを覚えた。

 

この頃から、私の記憶にマコちゃんの笑顔はあまりない。

昼休みに窓辺の席で女子とトランプをやりながら、校庭で遊ぶ男子を物憂げに眺めているとか、そうしながら誰かの恋愛相談を受けて毒舌を吐いているとか、あるいはもう、男女別々になってしまった体育の授業で、つまらなそうにサッカーボールを追いかけているとか、なんだか辛そうな顔ばかりを思い出す。私は、マコちゃん、どう思っているんだろう?と、遠くからぼんやり思いをはせるばかりであった。

 

中学の間、多分私とマコちゃんは同じクラスになったことはなく、高校も違ったので、私のマコちゃんに関する記憶はここで終わっている。中学の卒業式以来、マコちゃんとは会っていない。

 

マコちゃんは、ただただ「マコちゃん」であった。そういう個性の子で、それ以上でもそれ以下でもなかった。だからこの歳になって「きのう何食べた?」を見るまで、マコちゃんの恋愛対象はどうなのかとか、自分の性別をどう捉えているのか、といったことについて疑問すら持たなかったことに我ながら驚いた。どうでもいいが、あれほど恋愛相談を受けていたマコちゃん自身の恋バナを聞いたことがないことにも、今更ながら気がついた。あ、いやこれは、単に私が知らないだけなのかもしれないけれど。

 

そして、そんなマコちゃんに関する疑問に気がついた今となっても、やっぱりその答えはどうでも良くて、私はただ、「きのう何食べた?」を見るたびに、マコちゃんがマコちゃんらしく元気に生きているといいなあと思うのである。