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土下座で六時

高山彦九郎。江戸中期の勤王家。諸国を歴訪し勤王の大義を唱える。寛政の三奇人の一人。

 

なんて事は全く知らなくても、「高山彦九郎皇居望拝之像」は、私が学生だった当時、京都の学生で知らない人はいなかったはずだ。なぜならこの像は、東京で言うと渋谷のハチ公だから。

 

4月。熾烈な受験戦争を勝ち抜き、晴れて大学生になった私の元に、新入生の世話係、オリターと呼ばれる上級生辺りから「●月●日午後6時半 三条京阪 高山彦九郎の前に集合」という通達が届く。新入生歓迎コンパ、新歓コンパの案内だ。さんじょうきょうはん?けいはん?たかやまひこくろうの前??誰?

 

京都出身のクラスメイトに、三条京阪という、京阪の駅前にある高山彦九郎の像の前に集合せよ、という意味だと解説してもらい、場所も教えてもらう。「お侍が土下座してるやつあるし。来れば分かるで」ということだった。

 

果たしてその場所に行ってみると、大きな男の人の銅像があった。台座が高いので、生きている人間の頭の上で土下座しているみたいだ。丁寧なのか失礼なのかよく分からない。

 

三条京阪は三条大橋の東にある。コンパは大体、三条から四条の間の木屋町通から河原町通の間で繰り広げられる。で、その木屋町、河原町まで歩いていけて、なおかつ大人数が集まれる場所ということで、この場所は待ち合わせ場所としてメジャーであるらしかった。その目印たる高山彦九郎像はそれなりに大きいので、渋谷のハチ公みたいに人に埋もれることもない。ただ、そこにはたくさんの待ち合わせグループがいるので、知っている人を見つけるのにはちょっとだけ苦労する。多分そこは、ハチ公前と同じなのではないかと思われる。

 

そんなこんなで「高山彦九郎」は、どこの誰だか知らないけれど、誰もがみんな知っていた。なんで土下座してるの?と聞くと、歴史好きなクラスメイトが

 

「あれは土下座ちゃうねん!宮城、御所な、を遥拝、あ~、遠くから拝んでやな、それで感激してるっちゅう場面やねん。せやし、あのおっさんの向いてる方向に、御所があんねん。今もやで」

 

と、教えてくれた。まあそりゃあ、今もだろうな。御所の場所は江戸時代から変わっていないんだし。ということは、方角に迷った時にはこの像をみたら御所の方角が分かるってことなのか、と私は思った。この知識が使えるかどうかは分からないけど。

 

そんなこんなで、大学に入ってから、私の生活に「高山彦九郎」はスッと寄り添ってきた。月に一度はそのそばに立ったのではないか。あ、私が寄り添っているのか。

 

そうして、回数が増すごとに、年数が経つごとに、みんなの高山彦九郎の扱いはぞんざいになっていく。

「じゃあ明日、ヒコクローで!」

カタカナ表記である。江戸時代のお侍なのに。

「今度のコンパの集合場所どうする?三条京阪でいい?」

三条京阪=高山彦九郎である。三条京阪の、高山彦九郎像の前で、という事ではあるが、もはや高山彦九郎の名前は一文字もない。対する三条京阪は「三条」「京阪」などと略されることはなく、いつも完全に「三条京阪」である。この不公平さがたまらない。そして特に異論もなく「じゃあ、土下座前ね」と決定する。やはり高山彦九郎のたの字もない。

 

そうして決まったコンパの告知には

「来週の金曜、午後6時、土下座のおっさん前」

と書いてあったりする。おっさんやけど土下座ちゃうらしいで。でも土下座にしか見えへんししゃ~ないんちゃう。ホンマの土下座は顔も地面に伏せてるんちゃうん。まあええやんそこは。

 

最終的には友達との別れ際なんぞで

「どこ?」

「土下座!」

「六時な!」

みたいな会話になったりする。「土下座」は普通、動作を表す名詞であって、地名ではない。こうなるともう、ほとんど符牒。それでもみんな、間違いなく高山彦九郎の周りに集まってくる。それが高山彦九郎の実力。

 

「今日は渋谷で、五時♪」と鈴木雅之と菊池桃子がお洒落に、華やかに東京の夜の始まりを歌っているが、京都では「土下座で6時」が符牒。この落差がたまらない。そんな頃が、私にも街にもあった。

 

近年、市営地下鉄東西線が開通し、人の流れが変わったと聞く。今も土下座の高山彦九郎像が待ち合わせ場所のアイコンとして機能しているのかどうか、私は知らない。