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桐壷をめぐる人々 ~超訳源氏物語「桐壷」~ その十六の弐

⑯-2靫負命婦

 

「今は悲しみで心の闇に沈んでいるわたくしですが、少しでも気分が明るくなった時に、あなた様に話を聞いてほしいのです。ですから今度はぜひプライベートでのんびりとおいでいただけないでしょうか。これまでここには、昇進の知らせなどの晴れがましい役割でいらしていたあなた様が、まさかこのような事情で来ていただくことになろうとは、返す返すもままならない定めだと思っております。

桐壷更衣は、生まれた時から望みをかけた子供でした。亡くなった夫の大納言が、今際の際まで『この娘の宮仕えという私の本懐、必ず遂げてくれ。私が死んだからと言って、決して諦めてはならぬ』と、繰り返し遺言なさったのでその通りにしたのですが、実際の所、頼りになる後見人もない状態での宮中での生活は大変な事であっただろうと思うのですよ。けれど、ただただ夫のこの遺言に従おうと、本人の希望はどうであれ、とにかく出仕させたのでございますが、そこでの帝の、身に余るお心が、すべてにおいてもったいのうございました。宮中では身分が低く、人並みでないために受ける恥を忍んでお仕えしておりましたが、人の妬みがその身に深く積もり、穏やかならぬ事が多く続くようになっていった挙句、とても天寿を全うしたとは思えない、横死のような死に方をしてしまいました。今から思えば、帝の娘への畏れ多いほどの思いさえ、娘にとっては辛い仕打ちになっていたのではないかと思っているのです。このようなことを考えてしまうのもまた、悲しみゆえの心の闇の仕業なのでしょうね」

涙にむせびながらこう語る母君を、わたくしはなんとも言えない心持で眺めておりました。ただただ夫の遺言を守ること、それが妻としての務めであると思ったのでございましょう。

自分が死んだ後であっても、娘が宮仕えをし、そして帝に寵愛されたなら、この家は繁栄すると考えた父親。

亡き夫の言葉を守ることだけを考え、経済的に苦しくなることや、宮中での苦労が分かっていながら、娘を出仕させた母親。

本当に、娘が出仕すれば家が繁栄するとおもったのだろうか。宮中に職を得た事があるものであるならば、どんなに高貴な血筋であろうとも、後ろ盾がない者は決して報われることはないということを知らないとは思えない。万一、帝の男子を産むような事があったとしても、その子が帝になるようなことはないのだと、分からないのだろうか。

父親はわが身を鑑みて、家に娘を置いてそれなりの公達(男性貴族)を通わせて婿にした方が、よほど娘は幸せで家も安定するとは考えなかったのか。母親も、経済的に楽だとは思わなかったのか。

挙句、帝のあの有り余るほどの愛情を「辛い仕打ち」と言う。それはあなた方が望んだことではないのか。そうして今、夫と娘を亡くし、荒れ放題の邸を直す気力もなく、若君を抱えたこの状況を良しとしているのだろうか。この状況すらも、夫の遺言を守り通した良妻の姿として世に誇らしく思っているのだろうか。

わたくしは見て、知っている。母君が「宮中の生活は大変な事もあったでしょう」と察していたけれど、実際はそんな「大変」などと言う生易しい言葉で言い表せるものではなかったことを。母君は見ていないから、気楽な事がいえるのだ。ああ、「気楽」と言ってしまえるほど、あの生活は壮絶だった。もし実際にあの生活を目の当たりにしたならば、母君は今の様にのんきに泣き崩れてなどいられないのではないだろうか。わたくしが親であったなら、激しい後悔にさいなまれ、とても正気ではいられないに違いない。

「横死(おうし)」と母君は仰った。横死。普通ではない死に方、不自然な死に方、つまり、殺人。

「横死のような死に方をして」という言い方ではあったけれど、はっきり言って、あれは横死の「ような」ではなく、「横死」だ。あの死に方が自然死だと思う者は宮中にはいないだろう。誰が殺したかは分からない、あるいは寄ってたかって全員で殺した、ともいえる。おそらく、桐壷の床下や天井裏、どこかの寺社などを探せば、桐壷更衣様を呪い殺した証拠はたやすく見つかるに違いない。ただ、あまりの数の多さと宮中への影響の大きさゆえに、帝はそのようなことはなさらないだろうけれど。そう、そんなことをしても桐壷更衣様は帰っては来ない。それを帝は理解なさっていらっしゃるのだ。

わたくしは、自分のボスが軽くディスられたことをきっかけに、つとこんな事を考えてしまいました。とはいえ、子を喪った親の悲しみは、この場所全体からひしひしと伝わってまいりますので、このような批判的な思いもまた、悲しみに押し流されてしまうのでございます。

夜が更けてまいりました。仕事、仕事をせねばなりません。わたくしは気持ちを立て直し、母君に返します。

「帝もそのように思っておられます。帝は『我が心ながら、驚くほど強く強引に、人が不快に思うほど桐壷更衣を愛してしまったのも、2人の生活は長くは続かないとどこかで思っていたのかもしれないね。今思えば実に辛い縁であったことだよ。帝として、世の人心に対して、少しもがっかりさせるようなことはすまい、と思っていたのに、こと桐壷更衣に関しては多くの人の恨みをかってしまって、その挙句がこのように一人残されてしまってね。もう、気持ちの持って行きようもなくて、どんどん性格が偏屈になっているのが自分でもわかるんだ。本当に、どんな繋がりがあってこんなことになったのか、前世の因縁を知りたいものだよ』と、何度も何度も仰って涙を流しておられます」

わたくしは、桐壷更衣亡き後の帝のご様子を思い出すと、帝がどんなに悲痛な思いでおられるかということを語ろうとはするのですが、とても語りつくせるものではございません。そうこうしているうちに、すっかり時が過ぎてしまいました。

「ああ、本当にすっかり夜が更けてしまいました。今宵のうちに帝に報告せねばなりませんので、これで失礼いたします」

わたくしはそう言って、急いで帰り支度を始めました。

月はもはや山の端にかたむき、空は清く澄み渡っております。風はひんやりと涼しくなり、草むらの虫の声には涙を誘うような趣があって、まことに立ち去り難い風情でございます。

鈴虫の 声の限りを尽くしても 長き夜あかず ふる涙かな(鈴虫が声の限りを尽くしても、この秋の長い夜に涙が尽きることはないものですね)

わたくしはこうして、どうにか別れの和歌など詠み、どうにか車に乗りこみました。

いとどしく 虫の音しげき浅茅生に 露置き添ふる 雲の上人(ただでさえ虫がしきりに鳴くこの荒れ家に、高貴な身分の方がさらに涙の露を添えるのですね)

このような返歌が、「恨み言もつい申しあげてしまいそうで」という言葉と共に、侍女から私の車に届けられました。

「ふさわしい贈り物などを用意できる時でもないので、ただ、桐壷更衣様の形見として、もしかしてこのような時もあるかもしれないと残しておいた装束一式、髪の手入れをする道具一式を添えております」

母君の侍女はこうも言って、桐壷更衣様の服と道具を私どもに手渡したのでございます。この家の若い侍女は、つまりは桐壷更衣様ご存命の頃は一緒に宮中に勤めていた者たちなのです。彼女は私にこうも言いました。

「申し訳ございません。桐壷更衣様の死が悲しいのはもちろんでございますが、とはいえ、宮中の華やかな生活を知っている私たちですから、実はこの里の生活が物足りないのでございます。何かにつけ、帝のことなどを思い出しては、母君に早く若君を連れて宮中に参内してはどうかと言ってはみるのですが、母君は『このような喪を重ねた者が参内するのも世間体が悪いし、かと言って若君だけを参内させて、しばし会えなくなるのは心配なのです』と言って、なかなか参内なさらないのでございます」