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人生を楽しむということ

「人生を楽しむ」と聞いて、あなたはどんな場面を思い浮かべるだろうか?

 

私はこの言葉を聞いて思い浮かべる事は、美味しいものを食べ、旅をし、好きな人に会い、自分がやりたいことをやりたい時にやって、いつも笑っている。という感じ。

 

多分、間違ってはいないんだろうなと思う。実際、そうやって生きている人がテレビで賞賛されていたりするのを見たこともある。それを、いいな、と思って眺めてはいるのだが、ふと、それを自分がやっていたらどうか?と思った。飽きるな、と思った。

 

毎日が旅とパーティみたいな生活は素敵だ。でも、人生100年時代に死ぬまで続けるとなると、私はきっとそれを「消費生活」と呼ぶだろうと思った。

 

私は、本当の楽しみは苦しみの向こう側にある、とどこかで思っている、M気質なのか昭和の根性論か何かの持ち主なので、毎日遊んで暮らしていいとなると、おそらくどこかで空虚さを感じて出家したくなったりするんじゃないかと思う。実際、二十歳位の頃にまとめて各種夜遊びを試してみたが、黒服のお兄ちゃんのいるところも、カウンターの向こうでシェイカーを振ってくれるお兄さんがいるところも、ゲーム機がわんさかあるところも、まあこんなもんかと思って一度でやめた。

 

それなら出家して修行するというのはどうかと思ってみたこともある。が、そこまでの根性も、世を捨てたいと思うほどの苦も私の生活にはないし、それが「人生を楽しむ」ということにはどうにも結びつかない。

 

人生を楽しむというのは、どうやって生きることなのだろう?

良く分からなくなってきた。

 

まずはやりたいだけ「消費生活」をやってみたら、次にはなんとなく、自分の幸せを誰かに還元したくなるのではないか、と思うようになってきた。

 

何かを生産して。

誰かを幸せにする。

そこに苦があっても苦とは思わない、むしろ楽しい。

 

それがきっと、私にとっての「人生を楽しむ」ということなのかもしれない。

そう思うと、私はまだまだ全然、自分の人生を楽しめていないのだと気がついた。

 

さて、どうしようか。人生は続く。