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大文字駅伝が終わった

大文字駅伝が終わった。

大文字駅伝というのは、京都市内の小学生が参加する駅伝大会の事である。小学生の駅伝大会と侮ってはいけない。11月に地区予選を勝ち抜いた48校が、交通規制をした公道を白バイ先導で走り、地元テレビ局がゴールデンタイムに二時間の番組を組む。その番組は一般のマラソン大会と同じ作りだし、子供達は大人顔負けの素晴らしい走りをする。そこには一年以上かけて準備した上で、人生で一度きり、小6の時にだけに走れるという、夏の甲子園にも似た刹那的な輝きをも孕んでいる。ゆえに、感動する。

娘は4年の時から、陸上部で大文字駅伝を目指してきた。本格的には去年から、そのプロセスは受験と何ら変わりない。 38度の酷暑の日も、雪が積もる極寒の日も走った。夜明け前の公園を、雨上がりの鴨川河川敷を、かんかん照りのグラウンドを、はたまた山道を、砂利道を、平日も休日も、彼らはひた走った。夏は汗まみれで、冬は体から湯気を上げながら、雨上がりには泥にさえまみれて、みんな走った。

大文字駅伝の大会当日は、そんな練習の集大成であると同時に、陸上の活動としては氷山の一角でしかない。ではあるが、その大きな氷山のほんのてっぺんがどう出るかによって、全てが決まるというのもまた、受験とよく似ている。

娘は2区を走った。女子のエース区間。

私は6位でタスキを受け取ったという情報を得て、コース後半で待ち構えた。果たして、テレビ局の車、白バイに続いて子供達が走ってきた。1、2、3…私は順位を数えながら娘を探す。

10を超えても、娘はいなかった。え、と思った次の瞬間、数人まとまって走ってきた中に娘がいた。うそ、と思った。いつもの走りじゃない。そんなもんじゃないだろう?予選の時はもっと、弾けるような、まるで鹿が駆けているかのような躍動的な走りだったじゃないか?

しかし目の前を通り過ぎて行った娘は、予選の時よりは明らかに、なんというか、重かった。どうした?どうしたんだ?区間賞狙うんじゃなかったのか!?

娘の背中を見送った後、応援に来ている保護者の実況用グループラインに情報を入れなくてはと思うのだが、順位がはっきりしないのと、確実に6位からは順位を落としたという事実に軽く打ちのめされてすぐには動けなかった。なんとか画像で13位と確認して文章を打とうとしたとき「3区、15位で北山橋通過」という情報が入ってきた。ああ。

とにかくその場を離れ、ゴール地点に向かって動き出した。人が多くて歩きにくい。移動中も、続々とスマホに順位情報が入ってくる。15、10、8、7…みんな、頑張ってる。頑張ってくれ!!

娘は、仕事が出来なかったのだろうか?

移動中の地下鉄の中で、そのことが頭の大部分を占める。娘が6位をキープできていたら…と思う。ではあるが、2区は女子のエース区間。市内で最も俊足の女子が集まっている。これまでの大会では10位前後の成績が主だった娘としては、順当だと言えなくもない。

でも、それにしてもあの走りはどうなのだ?明らかに遅かったではないか?緊張していたのか。いや、していただろう、しない方がおかしい。もしかして、私がこれまで知らず知らずのうちにプレッシャーを与えていたりしたのだろうか?

予選の時はまだ私も、大文字駅伝が何なのかよく分かってなかったので、仕事を休んで応援に行くことを躊躇って、職場のみんなにたしなめられる程のんびりしていたのだが、今回は体調管理などに神経質になりすぎて、気づかぬうちにピリピリしていたのではないか?私の緊張が移ってしまったのではないか。

私は自分を責めていた。地下鉄の窓に、こわばった自分の顔が映っている。ひどい顔してるな、と思った時、握りしめたスマホがぶるると震え、「12位でゴール」という情報が入ってきた。ああ、その場面は見たかった。みんな今頃どうしているだろう。

12位。48校中12位は、そう悪くない成績だろう。客観的に見て、そう思う。過去の成績から照らしても遜色ない。しかし、本当はもっと上位を狙えたはずだ、という思いがどうしてもぬぐえない。

さらに私の思いを複雑にしたのは、優勝校が同じ区の学校だったことだ。いつも合同練習をしていて、実力伯仲の学校。予選の時は惜しくも負けたが、最終ランナーまではずっと娘の学校が一位だった。何よりそこの先生の前任校は娘の学校で、娘を陸上部に低学年のうちから強く誘っていたのもその先生なのだ。

これが、今年4連覇を狙うという優勝常連校なら、もっと割り切れた。しかし、直前の合同練習でも娘の学校とそう変わらない感じだったのに、本番では2位に一分差をつけた圧倒的な勝利。

何なのだ。何なのだ。

娘は仕事が出来たのか、という思いと、優勝校との結果の差に、驚きと割り切れなさが胸に渦巻いて、唇を噛むことしかできない。たかが市内の、小学生の駅伝大会である。部活の一大会である。子供のやったことであって、親の私とは関係ない。そう思い切ってしまう事も出来る、と頭では分かる。

分かるが、気持ちがどうしても割り切れない。悶々としながらゴール地点の岡崎グラウンドに行くと、もう会場は撤収が始まっていた。次は閉会式会場のみやこめっせに向かう。ものすごい人混みだ。

閉会式会場のホールで、やっと他の保護者と合流。お互いの健闘をたたえつつ、みんなやはりどこか複雑な表情だった。お疲れ様、よく頑張ったよ。それ以上の言葉が出ない。それは確かに、嘘ではないのだけれど。

ここで、タスキの結び目が1区の途中でほどけていたと分かった。手に持って走ればいいと大人は分かるが、子供達はひも状のそれを肩に斜め掛けして、落ちないように抑えながら、あるいはなんとか結び直そうとしながら走っていたらしい。娘が走る画像をよく見たら、娘は確かに、体に斜め掛けにしたタスキの両端を、閉じるように右手で握りしめていた。これでは腕がきちんと振れない。後に娘に聞いたら「そうだよ。それで集中できてなかったかもしれない」と言った。他にも、前日夜から39度の熱が出て、頓服を飲んで走ったメンバーがいたことなども分かった。

ああ、ドラマがある。

言い訳と言われれば言い訳だろう。しかし、それもまた実力。12位は、全員でとった12位だと、この時思った。

目の前を、優勝校の先生が保護者と上機嫌で話ながら歩いて行く。悔しい。悔しいが、あの学校もまた、並々ならぬ努力をしてきたのだ。あの成績は、普段の実力以上だったかもしれない。でも、それが出せたのもまた、あの学校の実力。勝利の女神はあの学校に微笑んだのだ。

やっとのことで移動中の娘を捕まえた。スッキリした表情をしていた。どうだった?と聞くと、第一声は「楽しかった!」だった。悔しくはないのか、という言葉をぐっと飲み込む。悔しくないことはないはずだ。もし「楽しかった」というのが100%だったとしたら、それはそれで良かったと祝ってやるしかない。悔しいのは私の思いであって、娘の思いではないのだから。

「でも、みんな速かった~」

娘は続けた。そうだろうね、市内の足の速い子が集まってたんだもんね、と言うと、うん、と言いつつ、つまりは現地で歩道でさえも練習で走ったら失格になるという規定で、初めて走るコースを、初めての市内最強女子のメンバーで走って、自分のペースが全くつかめなかったいうようなことを言った。でもこれも、条件はみんな同じなのだ。つまりはそれが娘の実力。

走り切った?悔いはない?満足?と問うと、曇りのない表情で「うん」と言った。「そう、よく頑張ったね」と言って別れた。

これで、娘の陸上部の活動は一区切りとなった。今日も、今週の練習予定などの連絡がきたが、メインは5年生で、6年生は気が向いたら来てください、という感じだ。

寂しいことこの上ない。たかが市内の小学生の、部活の、一大会である。でもそれが、大文字駅伝なのだ。

ここまで本当に、たくさんの学びがあった。私でさえ起きるのが嫌な寒くて暗い夜明け前に、サッと自分で起きて牛乳飲んで朝練に出ていく娘。それも1月2日から。しかもその練習には、レギュラーメンバーだけでなく、6年の部員がほぼ全員来ていた。朝練は、強制ではないというのに。

それはひとえに、練習が楽しかったからに他ならない。沢山の仲間と先生とコーチ、そしていつもサポートしてくれた保護者の皆さんのおかげだ。感謝してもしきれない。人はやはり、楽しい事しか続けられないのだ。

「小学生にそこまで走らせるなんて、意味が分からん」

と、正面切って言われたこともある。でも、私は絶大な意味があったと思っている。大会の結果よりも、ずっと大きくて大事な宝物があったと思っている。この宝物と、もしあるならば、結果の悔しさを抱きしめて、この先も娘には生きて行って欲しいと切に願う。

みんな、よく頑張った。私の悔しさはひとまず脇に置いて、今日は、娘と一緒に走ったゼッケンと鉢巻をきれいに洗ってアイロンがけしよう。

それで私の大文字駅伝も、終わる。