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夏の芋ご飯

私の両親は共働きだったので、家の中の事は祖母が取り仕切っていた。家族が皆それぞれに忙しく、お盆やお正月などの年中行事もあまりないような家庭だった。

そんな祖母が長年続けてきた年中行事があった。年に一度の芋ご飯である。

夕飯の席につき、わあ、芋ご飯だ!と歓声を上げると、祖母はごく普通の口調で「今日は八月十五日だからね」と言う。八月十五日だとなぜ芋ご飯なのかなと思いつつ、ふうん、とだけ言って、私ははずんだ気持ちでその特別メニューを食べる。

「おいしい!」

芋ご飯のお米はつやつやしていて、少し塩味がした。そこにさつまいもの甘みが加わって、とてもおいしい。ほこほこした食感も素敵であった。

「こんなものが、あんたにはおいしいんだねえ」

おいしい、と言われて喜ぶかと思ったのだが、祖母は私の笑顔を見ながら不思議そうにそう言うのだ。

「義母さん、この芋ご飯は贅沢すぎますよ」

父が、複雑な顔をして言う。なんで?と私が聞くと、

「お父さんは子どもの頃、毎日毎日このご飯を食べてたよ。戦争で食べるものがこれしかなかったからね。でもお米はこんなに真っ白じゃなかったし、粟とか稗とかがいっぱい混じってた。芋もガリガリしてて、もう全然おいしくなかったよ。第一、ご飯と芋の量がこれとは反対だったもん」

「へえ~、これ、おいしいけどなあ。粟とか稗って、インコの餌で売ってるやつよね? あれがご飯に入ってたの? おいしいの?」

「おいしくないよー! だからこれは白米ってだけで贅沢な芋ご飯。あの時の芋ご飯は、今はかえって作れないでしょう。ねえ義母さん」

「作りたくもないねえ。あんなものを大事な孫には食べさせたくないよ」

「お父さんは、おばあちゃんが作るこれはおいしいから食べるけど、ホントは芋とカボチャはもう食べ飽きてるんだ。ホントに毎日毎日、こればっかりだったなあ」

父はそういって芋ご飯を一口、ぽいと口に放り込み「うん、やっぱりこの芋ご飯は贅沢品」と言った。

私がお代わり!と言ってお茶碗を差し出すと、「いいねえ、あんたは本当に、戦後の子どもなんだねえ」と言って、祖母はお茶碗を受け取った。そして「芋ご飯がおいしいなんて、いい時代になったねえ」と笑って、大盛りの芋ご飯を私に差し出してくれた。

祖母は過去を振り返らない人で、思い出話というものをしてくれた記憶はない。戦争の話も聞いたことがない。その祖母が、黙って毎年終戦の日に芋ご飯を炊くという気持ちは、いったいどんなものだったのだろうと、今になって思う。

そう言えば、この時芋ご飯をほおばりながら、「戦争が終わったって分かった時、どう思った?」と祖母に聞いたことを思い出した。祖母は窓の外を見て一言「ホッとしたねえ」と答えた。祖母は、真っ赤な夕焼けを見ていた。終戦の日も、こんな夕焼けだったのかなと思いながら芋ご飯を一口食べ、やっぱりおいしいな、と思ったのだった。