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商品券をお守りに

中学生の娘が、友達と繁華街に遊びに行きたいと言い出した。ついに来たかとおもいつつ、まあそんな年ごろだろうとOKを出した。明るいうちに帰ってくるように。

これから出かける、という頃に、私は何気なく「今日はどこに行くの?」と聞いてみた。流行りの店なのか、文房具店なのか喫茶店なのか、私が行かない場所だと面白いなと思ったのだ。

「友達は、橋の下に行きたがってる」

橋の下…??四条大橋の下?もしくは三条大橋??何だかよく分からないが、私の妖怪アンテナのようなものが反応して、危ないからそこには行かないように、と言った。何が危ないのかよく分からないが、橋から出たら、そこは有名なカップルが等間隔で座る鴨川河川敷だし、そこに女の子だけで行くとナンパ待ちだし、もしかして路上ライブ的な物が見たいのかもしれないけど、とにかくあんまりよろしくなさそうな気がしたのだ。

娘は素直に「うん分かった」と言った。娘は私が心配することはしないので、私はこの時点ですでに安心はしていた。

娘が出かけるという段になって、私は、ふと思いついて娘にデパートの商品券を一枚渡し、「これで、ケーニヒスクローネのクローネか、出町ふたばの豆餅買って来て」と言った。「どっちがいいの?」と聞かれて「どっちでもいい」と答えたら、娘は「どっちにしよう~?」と悩みながら出かけて行った。

友達と遊びに行くのにお使いを頼むなんて、どうしてそんなことをしたのだろう、と我ながら不思議に思って考えてみた。クローネでも豆餅でもどっちでも良かったし、他の何だって良かった。その二つが分かりやすかったから頼んだだけだった。売り切れならそれはそれで構わなかった。

なぜに、と思う。脳裏に昔見たドラマ「すいか」のワンシーンが浮かぶ。

主人公の小林聡美の同僚、小泉今日子は職場のお金を横領して逃亡中なのだが、その途中で小林聡美に会いにくる。その別れ際、小林聡美は小泉今日子に「白菜、しらたき、ネギ」などと書いた鍋の材料のメモを渡し、「今度会う時、それ買ってきて」と言うのである。

そのメモは、小泉今日子がもう二度と戻れないかもしれない平凡な日常のアイコンであり、同時にそこへ還るための切符でもあった。あるいは平凡な日常へつながるための細い細い希望の糸。私は「ああ、いいなあ」と感じ入り、泣きながらその場面を鑑賞した。

思えば私が娘に渡した商品券は、「すいか」での買い物メモのようなものではなかったか。危険な香りがする場所に行かないように、万一行ったとしても無事に帰ってこられるように、家族、親と娘をつなぐ糸のような、錨のような。デパ地下という圧倒的に健全な場所に家のお使いで行かねばならない、というタスクがあれば、最悪のことには娘にも、友達にも起きないのではないかと無意識に思った、ような気がする。

夕方、約束通りに娘は帰って来た。楽しかった~と言いながら。橋の下には行かなかったよ、友達は行きたがったけど、行かせなかったから大丈夫。という報告を付け加えることも忘れなかった。

「クローネは売り切れだったから、豆餅買ってきたよ。商品券一枚だと3個しか買えなかった」

そう言って娘はかばんから豆餅の包みとおつりの400円を私に手渡した。豆餅、一個200円になったのか。こないだまでもうちょっと安かったような。などと思いつつ包みを開けると、豆餅は思い切りパックの片側半分に偏ってくっつきあっていた。おお~い、縦にして持って帰ってきたんか~い!と突っ込むと、娘はアハハと笑ってごめ~ん、と言った。そうして食べた豆餅は、いつも通りとても美味しかった。いつも通り「美味しい」というと、いつもよりずっと嬉しそうに娘は笑った。

 

あれ以来、いろんな人に「橋の下には何があるのか?」とリサーチをかけているが、未だに「知らない」「聞いたことがない」以外の答えは返って来ていない。