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娘はその棚ぼたをどこまで喜ぶか

年末と言えば大掃除である。

今年はちょっとスイッチが入って、結構大量に物を捨てた。こっちが一生懸命やっていたら娘にもそれが伝染したようで、気がついたら普段はやらないような机の引き出しの中身をひっぱり出して格闘しているようだった。

 

「うわあ~!!やったあ~!!あはははは~!!おかあさ~ん!!お金があった~!やった~!!」

 

突如娘の叫び声が上がったので行ってみると、娘が雑然とした部屋の中でひっくり返って高笑いしていた。お金見つけたよ~!!と言いながら。

 

いくらあったん?と聞くと「5千円!!」と興奮気味で答える娘。

 

あのね、捨てようかなって思ったポチ袋、一応中身見たら入っててん!!でもこれ、普段私が片付けてる所じゃないところにあってね、このポチ袋の柄、覚えてるけど結構昔のやつ!私、今年のは本棚のこの辺に片付けてるけどこれ、違うところから出て来たもん!!これ、いつのやつやろ?!でも五千円ってすごくない!?やった、やった~!!

 

娘はこちらが聞いてもいないのに、この五千円を発掘した経緯を詳らかにしてくれた。そして私に話すために一旦起き上ったものの、また「やった~!!」と言いながら床にひっくり返った。

 

わが家では、お小遣い制を敷いていない。

お年玉や何かのお祝い、たまに祖父母などからもらう不定期のお小遣いなどですべてをまかなうことになっている。金額は大きくても、次にいつもらえるかは分からないお小遣い。私達は娘のお金の使い途には一切口出ししないし、収支報告も求めていないが、娘は本当によく考えてお金を使っていることがよく分かる。きっかけはこのブログを読んでからである。内容に納得したし、私自身も子供の頃、お年玉は貯金するよりも、全部ファミコンとソフトに突っ込んだときの方が、お金の有難みとか、「使った!」という達成感のようなものを味わえたことを思い出したから、というのがあった。

https://chikirin.hatenablog.com/entry/20140101

 

そんな娘が、12月になって金欠に陥っていた。今年は友達と遊園地や映画によく出かけているなと思っていたら案の定。もちろん私は何も言わない。娘も私に「お金を下さい」とは言わない。言わないが、おそらく数少ない、確実な収入が得られるであろうお正月を前に日数を数え、「ああっ、あと〇日で〇円!」などと叫んでいた。聞くところによると、たしかもう、所持金は500円を切っていたはず。

 

そんな状況での、5千円の現金発見は大きい。大きすぎる。ひっくり返って高笑いしたい気持ちはよく分かる。が、娘のそんな様子を見ながら、子供であってもお金に対する生々しい反応と言うのは大人と何ら変わらないのだなあという妙な感慨をも持った。

 

さて、娘はこの大事件を、夕飯時に夫にも嬉々として語った。もはや武勇伝である。私は「良かったねえ」と言い、娘は「ホント良かったよ~」と言って笑った。

 

そうして、年が明けた。

元日の朝、私たちは娘にお年玉を渡した。

年末に、祖父母から届いていたお年玉も一緒に渡した。娘は心から嬉しそうな顔で封筒たちを受け取り、中身を検めてから「ありがとう」と言った。

 

「いやあ、この上さらに5千円があるから」

娘は満たされた表情で言った。そうだよね、と私は返した。すると夫が

「そうね。良かったよね。良かったってことはね、お父さん、間違いないんだけどね」

夫がお猪口を手にしながら微妙な、ちょっと「とほほ」な感じさえ混じった調子で言う。

 

「もしこれがお父さんだったらね、いやお父さんも子供の頃、こういうことあったけどね、お母さんほど素直には喜んでなかったなあ」

 

え、なぜ私に急にそんなパスが?と思って聞いていると、

 

「お父さんはこういう事があった時、嬉しいけど、嬉しいけど凹んでた」

え?なんで凹むの?と私はきょとんとして聞くと、だろうね、お母さんはただただ嬉しいよね、分かってる、と言った後で

 

「お父さんは、こういう事があったら、自分のお金の管理能力を疑って、ちょっと凹む」

 

と、私が一ミリも持ち合わせていない価値観を持ちだしてきた。

「もしかして、これまでにうっかり捨てた現金とかあるんじゃないかと思って、結構凹む」

 

え?なんだろうその価値観?だって、ないと思ってたお金が降ってわいたように出現するんだから、素直に喜べばいいのでは?!

 

「いや、確かにそうなんだけどね。嬉しいけど、ちょっと凹むし反省するよね。これからはもっとちゃんとしよ、って思うの。お母さんみたいに『なんだか知らないけど棚ボタだ♪ラッキー♪』っていう風には、喜べない」

 

私はもはや、笑うしかなかった。ええそうです。棚ぼたは、心から喜びます。「捨てた現金があったかも」なんて、ホントに今の今まで、一瞬たりとも考えたことはございません!!そんな思考回路があることすら、一瞬も想像したことがありませんでしたとも!!というか、捨てた現金とか、絶対にないと思うし!!

 

「いや~お見通しかあ~」などとヘラヘラ笑いながら、実に3秒前まで持ち合わせていなかった考え方を知ったのがとても面白かった。私としては、どうして不意の収入を素直に喜べないのかくらいのもんであるが、こういう自分にない価値観を知るというのはとても大事なことだと思う。

 

「で、お金見つけてどう思った?」

夫は娘に聞いた。そりゃあ、あれだけ高笑いしてたんだから、手放しで喜ぶに決まってるじゃん、実際そうだったし、と思っていると、なんと娘は笑いながら

 

「いや実は、一瞬、お父さんと同じこと思った。でも、目の前にあるもんはあるもんで喜ぼうと思った」

 

という、全くもって中立の立場を表明したのであった。え、あんたそんな事おもってたん?!と思わず言うと、「いや、ほんの一瞬。だから今のお父さんが言う事もちょっと分かる」

「お母さんは手放しで、理由とかもうどうでも良くて『なんか分からんけどラッキー』だもんね」

ああそうですとも。というかさあ、もう喜べばいいのよ。

 

さてみなさんは忘れていたお金を発見した時、どんなことを考えますか?私みたいにただ喜ぶ?それとも反省する?