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コショウを疑う

およそ世間の料理レシピには、たいてい、ほぼまちがいなくと言っていいくらい、その材料一覧の末尾くらいに

 

塩、こしょう…各少々

 

と書いてある。各少々、のところが「適宜」「適当」とかの事もある。

ともかく。

塩とコショウはセットでちょびっと使うのが基本であるらしい。なので私は長いこと、何も考えずに、コショウを常備し続けてきた。

が。

 

ある時、切らしてしまったのだ。コショウを!

うそ~ん、コショウ、ないし~!どうしよう?!と思ったが、ないもんはないし、代わりになりそうなものもない。七味はあったけど、なんかちょっと違うしなあ、と思ってやめた。そして、コショウは省いた。

それでどうなったか?

 

何も、起こらなかった。

 

コショウがないことなど、何も気にならなかった。コショウを入れていた時と、入れてない時と、何が違うのか分からなかったのだ。土台、使う量が「少々」では、あってもなくても影響がないのだと思った。

 

以来、我が家から粉末のコショウは消えた。

 

塩、コショウとセットで語られることがほとんどの、この二つの調味料。塩は、要る。絶対いる。これは間違いない。しかし、「少々」で本当にいいのか?!と、「塩分量は総重量の0.6%」を死守するようになってから思うようになった。「結構、量はあるなあ」と思う時もあるし、「これだけか」と思う時もある。やっぱり、量ってみなくては分からない。適当に少々使うのでは、やっぱり駄目だ。

 

対するコショウ。これは必要な時もある。コショウが効いた料理と言うのは確かにあると思うので。しかしそれが全部が全部、コショウの風味をきかせなくてはいかんもんなのか?と思うようになった。もうこれは、七味とか柚子こしょうとか、他の辛み調味料で代用できるような、つまりは辛さが味の決め手となるような料理の時しか必要ないんじゃないだろうかと、私は思うのである。

 

なので、うちには粗挽きコショウはある。これはないと困るっていう料理の時のために。適当に少々使うのでは、やっぱり駄目なのだ。

 

何に対しても、無自覚でいてはいかんのだなあ、としみじみ思う。