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桐壷更衣はなぜ死んだか

世界最古の小説「源氏物語」は、

 

いつの帝の時代でしたか、帝の住まう後宮にはたくさんの女性がお仕えしていましたが、その中で1人、特に身分が高いという訳ではないけれど、大変に帝の寵愛を受けた方がおりました。(私訳)

から始まる。何気ない文章かもしれないが、この「特に身分が高いという訳ではないけれど(いとやむごとなき際にはあらぬが)、というのが曲者である。

後宮の女性には天皇の正妻である「中宮」を筆頭に、きっちりと階級制度が確立している。そして「中宮」になるのは、貴族の娘の中でも上流の家柄出身であることが条件だ。現代で言うと親が総理大臣とか、財閥だとか、とにかく「誰が見てもセレブ」な女性でなくてはならない。

誰もが帝に愛されたいと思う女性がひしめき合う後宮において、中宮、もしそうでなくても帝に愛されるような女性は、ある意味「説得力」がなければならないのだと思う。生まれや容貌は自分ではどうにもならない。だからこそ、自分にはどうにもならないほど素晴らしい「何か」を持つ女性が帝の妻になるのは「当然」であろうし「仕方のないこと」だとあきらめもつくのである。それでこそ、後宮の秩序が保たれるというものであろう。

ところが、この長編小説の始まりは、「特に身分が高いわけではない」女性が、帝の寵愛を得てしまった、と告げている。しかも「大変な寵愛」をうけてしまった、と。

帝に愛された女性の名は「桐壷更衣」という。きりつぼのこうい。しかしこの名は「山田花子」という名前とは性質が違う。「桐壷」というのは住んでいる部屋の名前であり、「更衣」というのは身分である。まあ現代で言うと「総務部係長」とか「東京のおばさん」のようなものだと思っていい。

帝の后になれる身分は、女御(にょうご)と更衣で、トップの中宮は女御のなかから一人が選ばれるというシステム。女御か更衣かは、実家のランクで決まる。

そんな、あまたの女御、更衣が帝を中心とする後宮にいるなかで、そもそも中宮になる資格のない身分の桐壷更衣が帝の愛を独占してしまったわけである。さてどうなるか。そう、壮絶な嫉妬の対象となる。

 

「ちょっと、聞いた~?桐壷更衣らしいわよ!」

「え、桐壷更衣って誰?てか更衣ってどういうこと?!」

「知らないわよ、帝の気まぐれなんじゃないの?按察大納言の娘らしいわよ。それももう、亡くなってるらしいわ」

「う~わ~、終わってる!なに、それで一族再興の願いを背負ってここに送りこまれてきたってわけ?!」

「そうなんじゃないの~?どうやったか知らないけど、上手くやったわよねえ~。ちらっと見たことあるけど、かわいい顔してたわよ。あんな顔して、分も弁えずに帝に取り入るっていうんだから、怖いわよねえ~」

「ちらっと見たって、あなた…」

「そうなのよ!帝のお召があった時に、この部屋の前を通って行ったのよ!ていうか、もしこれからそんなことが増えたら、その度にここを通るのよ!桐壷ったら、帝の清涼殿から一番遠い部屋じゃない!」

「そりゃそうよ、身分が低いんだもん」

「そうなんだけど、そうなんだけど!!そこはいいんだけど嫌なのよ!後宮中に、自分が今夜帝に愛されるんだってことを見せつけながらあの女は歩くのよ!さぞかし気分がいいでしょうよ!そして私はそれをただ眺めていなくちゃいけないんだわ!」

 

そんな会話があったかどうかは定かではないが、とにもかくにも、桐壷更衣への帝の寵愛ぶりは日に日に強くなっていく。

 

「ああ~もう!!なんでこうも毎日毎晩、桐壷更衣かなあ~。帝も、こういっちゃなんだけど、よりによってなぜそこ?!ってとこに手を付けたって感じよねえ~」

「正直、ほんと恐れ多すぎるけどぶっちゃけそう思うわ!!これが弘徽殿女御(こきでんのにょうご)様だったらどんなにいいか!あれほどの権勢を誇る実家がバックについてて、中宮になるのも時間の問題って言われてる方だったら、私達だって諦めも付くってもんじゃない?!」

「私達、って…」

「私達、でしょっ?!私もあなたも、帝に愛されて男子を産んで、実家を繁栄させるっていうミッション背負わされてここに来たんでしょっ?!」

「たしかに…。ここに来るまでは『絶対!!』って思ってたけど、いざ来てみたら弘徽殿女御様とかとんでもない人がいるんだもん。人数も多いし、まあ無理かな~って思ってた」

「私だってそうよ。帝のお相手が弘徽殿女御様だったらさ、ミッション失敗したって親も納得してくれると思うのよ。そんなら父親のあんたがもっと出世しとけよ、ってところだし」

「だよね。娘に頼るなっつうの、って思う時は、あるわよねえ」

「でしょでしょ?!ところがさ~、そこで桐壷更衣よ」

「更衣なんだよねえ~」

「私たちと、一体何が違うって言うのよ?!あの女だって頑張ったかもしれないけど、私だって頑張ってきたのよ!帝は私たちふぜいにはご興味がないんだって思ってたから我慢も出来たけど、並びとしてはあの女も私も似たようなもんじゃない!!それならどうして私じゃなくてあの女なんだろう、私だってなにかちょっとしたチャンスがあればあの女の立場になれたんじゃないか、って思うと腹が立って、本当にはらわたが煮えくり返りそうだわ!!」

「親にもなんて言ったらいいのか…」

「そこよ!面目丸つぶれよ!!一体なにが違うって言うのよ!!」

「顔、かなあ」

「顔~っ?!」

 

物語は、

後宮にやってきたときから「自分こそは帝の妻になって当然」と自負していた方々は、桐壷更衣を気に食わない者だと蔑み、妬んでいらっしゃいました。(私訳)

と語る。それはそうだろう。帝の正妻になろうかという人はおそらく、子どものころから周りに将来は中宮になるのだと言われて育ってきたはずだ。それをいざという時になって桐壷更衣が出てきた日には、面白いはずがない。

しかし、興味深いのはその続きが

桐壷更衣と同じくらいか、それより少し下くらいの身分の更衣たちはなおさら心安らかではない(私訳)

と言っていることだ。同じくらいの身分なら応援してやればいいのに、と思うかもしれないが、人の嫉妬心というものは複雑なもので、絶対に手に入らないものに対してよりも、もしかしたら自分にも手に入ったかもしれない、でも手に入らなかったとっても欲しいもの、に対して燃え上がるのである。

という訳で、先ほど謎の平安女子が噂していた弘徽殿女御などは、心のうちに嫉妬心を燃やしながらも、この後に物語で描かれる、桐壷更衣に対するあからさまな嫌がらせには直接関与しないだろうと思うのである。中宮になって当然だと自他ともに認めるような貴婦人は、更衣など相手にしない。そんな低い身分の者が自分の気持ちを乱すということがまず許せないので、嫌がらせはおろか、嫉妬などという感情を抱いているということさえ、他人に気取られたくはないはずだ。おそらくこのランクの人たちの桐壷更衣に対する対応は、徹底的な無視、社会的な抹殺であろうと思われる。これはこれで、嫉妬心とプライドの苦しい葛藤があるのだろうが、それはまた、別の話。

それに対して「私達と桐壷更衣の何が違うのよっ!!」とわめいていた謎の平安女子たちの方が、激しくてあからさまな、物語で言うところの「あやしきわざ」、つまり帝の部屋へ行けないように渡り廊下に鍵をかけたり、通路に汚物を撒いて通れなくするなど、あの手この手で妨害するような事をやっていたのではなかろうか。もしかするとその中には、弘徽殿女御の気持ちを忖度する女御の召使いあたりも加わっていたかもしれない。これはあくまでも想像であるが。

無視、噂、嫌がらせ。後宮は桐壷更衣にとっては針のむしろそのものだ。二十四時間、逃げる場所もなく嫉妬といじめの標的にされ、恨みつらみがその身に積もったからか(恨みを負ふ積もりにやありけむ)、桐壷更衣は病気がちになり、実家に帰る事も増えてくる。それも当然だろうと思うのだが、帝はそれすらも「愛らしい」としてさらに偏愛の度を深め、遠くの部屋から来るのは大変だろうと自分の隣の部屋を使わせたりする。その配慮のなさがまた桐壷更衣の立場を悪くするという負のスパイラルを招く。

そんな桐壷更衣への傾倒ぶりが、女性だけでなく男性貴族からも、帝の仕事に差し障りが出ているというので避難される。ここでは「仕事に差し障りが出る」などとそれらしいことを言っているが、本当のところは自分の出世のために宮中に娘を入れたミッションが失敗したのだから、失敗を招いた張本人の桐壷更衣の存在は面白くないはずで、ここでも深層心理には嫉妬があったと睨んでいる。

桐壷更衣の周りの状況など意に介さず、帝はひたすら桐壷更衣に執着し、桐壷更衣は弱っていく。そうしてついに光源氏を産んだ3年後、はかなく死んでしまうのであった。はかなく、と書いたが、帝以外の宮廷の人々すべてに憎まれて、よく3年ももったなあ、という気もする。桐壷更衣は、嫉妬によるいじめによって殺された。帝に愛されなければ死ななかったのか、それだけ辛い思いをしても、やはり愛された方が幸せだったのか。

ともあれこの雅で長大な物語の始まりが、嫉妬といじめから始まるというのが実に興味深い。そして、その心理は物語から千年以上を経た私達にも皮膚感覚で理解できることに驚く。人の心はこんなにも変わらないものなのだ。

嫉妬心は昔から変わらず私たちの中にある感情で、沸き起こるのは自然であり、決して消せはしない。しかしこの物語からの学びと今日までの歴史、そして現代の知恵をもって、少しはこのややこしい感情をコントロールできるようになりたいものである。

嫉妬心はこれ以降も物語に度々登場する。それぞれの登場人物が自らの嫉妬心にどう対応していったかを追いながら話を見ていくのも、楽しいかもしれない。