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茶碗の中の宇宙

年明け早々、美術展に行ってきました~。
京都国立近代美術館で、「茶碗の中の宇宙 ~樂家一子相伝の芸術~」。
樂茶碗の展覧会です。

樂茶碗っていうのは、初の国産茶陶なんですよね。それまで茶道具っていうのは中国や朝鮮からの輸入品しかなかったんだけど、千利休が鬼瓦とか作ってた長次郎にオーダーして作ったのがこれ。で、長次郎の子孫の皆さんが今も樂家として茶碗を作り続けている訳です。現在は15代目。

中も外も、一面真っ黒な茶碗です。それが、初めの展示室にぼんやりした照明の中にずらっと並んでます。
まあ、地味ですわ(笑)室内暗いし物は黒いし。

でもね、よく見るとなかなかすごいですよ。
まずはこの茶碗の機能が、今私たちが使っている茶碗とほぼ同じ。もう完成形ですよね。これは利休ががっちりオーダーした結果。

で、形がきれい。樂茶碗ってろくろ使わないで作るんですよ。手で粘土こねるみたいにして作るの。あとはヘラで削ったりとか。多分みなさん子どもの頃に粘土で遊んだことあると思うけど、あれで同じ厚さのゆがみのない形の茶碗作ろうと思ったら、結構大変ですよね?
茶道具としての機能をきっちり備えつつ、形もきれい。そして黒い(笑)

私が見ててすごく感じたのは、長次郎の生命力と言うかパワー。すぐそばに長次郎が作った獅子像があったけど、もう出来たてっていうか、絶対焼いてあるから硬いはずなんだけど、なんか柔らかそうなの!すごい勢いで作って「出来たで!」ってそこにおいてあるようなライブ感、生命感。生獅子感ハンパね~って感じです。

そんな勢いが茶碗にも感じられました。
だってね、それがないと、とてもやってられなかったと思うんですよね。
というのも、樂茶碗の「美」って言うのは利休が仕掛けた価値観なんです。さっきも書いたけど、それまでは茶道具の世界では輸入の道具しか相手にされてなかったんです。今は国宝になってる「曜変天目」とかね、ああいうのを名物とか大名物とか言ってセレブが有難がってた訳です。曜変天目は曜変天目で世界に3つしかないすごい奴なんですけどね、まあ確かに有難いんですけど、そんな世界だったわけです。

そこに真っ向勝負を挑んだのが利休と樂のタッグです。
国産の、今出来の茶碗ですよ。しかも黒い(しつこい)。ホントならだれも相手にしないような物なんだけど、それを利休が「俺がきれいや言うてんねんからきれいやねん。分かるやろ?」というノリで世間にプロデュースして行くわけですね。これまでの利休ブランドをかけた一品なわけです。
秀吉には黒は嫌われたけど、まあ赤ならまだましか、って使ってくれたりして(秀吉も利休のセンスが判るって世間に言いたいしね)。
そんなこんなで足利時代からの世間の美意識に挑戦する訳なんで、まあそんじょそこらのパワーでは太刀打ちできませんわね。
とにかく400年経って見てもなかなかに生々しい、初代長次郎でした。7つも一気に見たのは初めてでした。

で、利休の目論見はめでたく達成され、今私が黒い茶碗を見ると感覚的に「美しい」と思う訳です。めでたしめでたし。
…とはなってない。

何しろ、既存の価値観をぶっ壊して成立したのが樂家の焼き物なんで、破壊というか革新が家訓なわけですね。
なので歴代の樂吉左衞門は苦闘しています。それが一覧できる展覧会となっていました。
釉薬を開発するもの、作り方に工夫を凝らすもの、絵を描くもの…それぞれがいつも何か新しい事を確立しているのが良く分かりました。これは樂じゃない、と言われることこそが樂なのかも。いつの時代も前衛だったんでしょうね。これはかなり難しいはず。

そして当代は樂の黒を捨て、茶道具の機能も捨て去ってました。
それはそれで、最も樂家らしいともいえる訳で、おそらく当代はかなり初代を意識してるんだろうな~って思ってみてたらなんと、最後の最後、見逃しそうなちょびっとしたスペースで、展示室が初代の所とつながってました!!やっぱり!って思った(笑)うっかり出口のお土産売り場に出そうになったわ!あぶなかった~(笑)

現代の私の感覚で見て前衛だと感じる当代の作品。それを見た後で改めて初代を見ると、これはやっぱり前衛…現代の目で見ると超モダンだなって思えました。立ち向かう物が時代だったり家の評価だったりするけど、まあ既存の価値観であることには変わりなく。大変だな~っていうのが最終的な感想だったりしました。

そういえば今、焼き物で国宝に指定されているのは全部輸入のものなんですよね~。
なんかその辺、今も昔も変わってないのかな~と思ってもみたり。
でもそこに、樂家の存在意義があるのかも?

ちなみに、展覧会の表題「茶碗の中の宇宙」っていうのは良く分かりませんでした!!(爆)
いつかあのケースの中の茶碗でお茶飲んでみた~い!っていう煩悩しかなかった私なのでした。