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誰かの別れ話

ある時、市バスに乗っていた。後ろから二番目の席。ここは足元が高くなってないので座りやすくて好きだ。
乗って次のバス停で、人が沢山入れ替わった。

このタイミングで、後ろの席にはどうやらカップルが座ったらしく、何やら話をしているのが聞こえた。

「…これって、どういうこと? そういうこと、してもいいって思ってたの?」

何やら女の子が説教口調である。いや別に聞きたくもないのだが、聞こえるのである。声というのは前に通るものなのだ。
女の子はなおも、「どう思ってるの?」などと、努めて冷静を装いつつも、どこか上からの物言いで、じわじわ男の子を追いつめている。
男の子と言えば、たまに「…うん…」くらいしか言わない。いじけた子供みたいだ。
その態度がさらに女の子をいらだたせ、少しずつ口調が厳しくなっていく。
どうやら、男の子が浮気をしたらしい。

…って、なんでそんな話、私が聞かなくちゃいけないんだと思うのだが、聞こえてくるものは仕方がない。
それにしても、女の子よ、あんまり追いつめるとよろしくないですよ、とも思いつつ、男の子よ、もっとはっきり謝るなら謝りなさいよ。女の子がどんな言葉を欲しがってるか、分かってるんでしょ?などと、やらなくてもいい行司役など一人でやっている。

とはいえ、男の子はどうにもくにゃくにゃしてて気に入らない。浮気したくせにいじけるって、どういう了見なのだろう? 女の子よ、もうそんな奴はこっちから捨てた方がいい。
私の中では、そう結論が出た。

しかしまあ、付き合ってきた当事者からすれば、そんな簡単にはいかない訳で、女の子はさらに、まるで先生みたいに優しく、しかし怒りをにじませながら説教をしていた。

「…ごめん…」

ついに男の子が謝った。そうだ、私は今、彼の謝罪の言葉を初めて聞いたぞ。今まで一度も謝りもしてなかったのか?! そりゃいかんだろう、女の子の粘り勝ちだな、良かったな。
女の子もやはりそこはうれしかったのか、ちょっとホッとした口調になりながら、しかしまだまだ甘い顔は見せないぞ、という感じで
「…で? これからどうする…?」
と聞いた。「もうしません」とか、そんな言葉を期待したのだろう。過去の事はもう良しとして、これからのことが大事だからね。うんうん、セオリー通りだ。

「…別れる…」

え?と思った私の気持ちを100倍くらいにした「え?」が後ろから聞こえてきた。

すごい。たった一言で、完全に形勢は逆転した。
女の子は一転、優しく諭すような口調で男の子の気持ちを変えるべく説得し始めた。
しかし、男の子は相変わらずいじけた様子で、ただ「…もうこの指輪、返す…」と言ったきりである。

いやいや、なぜ男が女に指輪を返すのか? 普通逆だろう?と私は突っ込みたかったが、それに対する女の子の返しは
「返すくらいなら捨てて」であったから、どっちもどっちである。寺尾聡か!と私は一人ツッコミを入れた。

とにかく、男がずるい。なんだ、ひたすら黙って相手にしゃべらせといて、上げ足取るようなやり方で「別れる」ってなんだよ。自分が悪いんだろ、なにいじけてんだよ。女もそんな男、さっさと捨てろよ。私なんて出会って3分で見切ったぞ。それでも説得するのかよ。そいつそんなにいい男か?

そもそも君たち、市バスの中で別れ話を繰り広げて、見ず知らずの私に全部筒抜けってどういう事なんだよ! 別れ話はよそでやってくれよ!

聞いているこっちがなかなかにイラついてきたところで、私の降りるバス停が近づいてきた。
結末が気になる所ではあるが、まあ状況はさして変わらないだろう。

それにしても不思議なのは、本当に、どうして二人の会話があんなに鮮明に聞こえたのか?である。大声で話していたにしては、周りの人はあまりにも無反応である。

席を立ちながら、一体どんな二人だったのだろうと後ろを見てみた。
驚いた。全く見えない。後頭部しか見えない。
二人は、前の席の背もたれに、突っ伏して話していたのである。

そう、その「前の席の背もたれ」を使っていたのは私である。
つまり、私の文字通り耳元で、二人は件の会話を繰り広げていたわけである。

そりゃあ~、聞こえるわ。ささやかれてたのと同じだったんだから。
本人たちは、誰にも聞かれてないと思ってただろうけど、残念!一言一句、クリアに聞こえておりました。いやべつに、聞きたくもなかったんだけども。

教訓。バスの中での別れ話は、止した方がいいです。