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肉詰めピーマンと理科の実験教室

娘は小さい頃から砂遊びが好きだった。砂に水を混ぜて泥団子を作るのが得意だった。

それなら、と私は家でも肉詰めピーマンを作る時、ひき肉をこねるお手伝いを頼むことにした。すると娘はいつでも台所にとんできて、楽しそうにひき肉をこね、そして私と一緒にピーマンに詰めるのであった。

いつも嫌がらず、楽しそうにお手伝いしてくれる娘。包丁も使わないし、ちょうどいいお手伝いである。何よりおしゃべりしながらお肉をひき肉に詰めるのは、楽しいひと時だ。

が、私は毎度、必ず目を光らせていることがあった。あることをを防止するために、ひたすら娘に話をさせるように仕向けていた。どういうことか?

娘が、コネ上がった肉ダネを、毎回、必ず「食べたい」というのである。

毎回、私は生肉なのでダメだと言い、なぜダメなのかをきちんと説明した。そして毎回、娘は「分かった」というのであるが、次回また、必ず「味見していい?」と聞くのである。黙って食べてしまう事がないように、私はいつも娘に何かしらの質問をして、口の中に生の肉が入る暇がないようにしていたのである。

幼稚園の頃から始まったこのお手伝い。小3の夏の日の事であった。一瞬、私が何かの片づけをしたために台所を離れて戻ってきた時、斜め後ろから見た娘の顔が、何か不自然なことに気がついた。何となく体全体が硬直していて、口が半開きになっているような?

「ちょっと…?」と声を掛けながら正面に回ってみると、果たして娘の口は半開きになっていて、唇で縁どられた、本来黒いはずの丸い空間には、ベージュの何かで埋め尽くされていた。

「食べた?!これ食べた?!」

私は短く叫んだ。娘は涙目で小さく頷いた。どうしよう?!

「飲んだの?!」と聞くと小さく首を横に振った。よかった間に合った。「吐きだしなさい!!」と私は叫び、そこにあった食品トレイを娘に付き出す。娘は半泣きで何かを言っているが、口の中に肉ダネが詰まっていて言葉にならないようだ。どうやら「どうやって?」と言っているようなので「舌でも何でも使って押し出しなさい!」と言うと、ボトッとピンポン玉大の肉ダネがトレイの中に落とされた。すぐに口をすすぎ、最後はうがい薬で口中をすすぐように、と私は娘に指示をし、娘は黙ってそれに従った。

トレイに吐きだされた肉ダネは、大きかった。幼稚園の頃から足かけ6年。あれほどダメだと、理由も交えて説明し続けて、これか…。私は絶句した。ちょっとだけ舐めてみるならまだしも、あれだけ言われてピンポン玉サイズを口に入れるというのは一体どういう了見なのか、皆目見当がつかない。

と、同時に私は焦った。好奇心の強い娘だとは分かっていたし、むしろそのことを喜んでもいる。しかし、英語に「好奇心は猫を殺す(Curiosity killed the cat)」ということわざがある通り、それを満たした場合、取り返しが付かないことがあるのだ。

現に娘が幼稚園の時、指に輪ゴムを強く巻きつけて、指の色が変わるのを観察していたことがあった。指先が黒くなった状態を、嬉しそうに私に見せに来たのである。私が驚いて、急いで輪ゴムを外すと、指先は見るまに本来の血色を取り戻した。ホッとする私の横で、娘は実にがっかりした様子で「あ~あ、もう少しでどうなるのか分かる所だったのに」と言ったのである。それが分かってからでは遅いというのに!!

このままではこの先「走る車を触ってみたい」などと言い出しかねない。私は本気で焦った。その焦りが、「今ここで、しつこく言い聞かせなくてはならない」という衝動を生む。私は「あんなに何度も言ったのに、なぜ食べたのか?」と娘を詰問した。半泣きで詰問した。

私の剣幕に恐れをなして「ごめんなさい」「もうしません」と泣きながら繰り返すばかりの娘だったが、「なぜ食べたのか?」としつこく聞かれ、最後にやっと「…どうしても、どんな味がするのか確かめてみたかったんだもん…」と言った。

言われたことは理解できても、自分で確かめなくては納得できないのか…。

私はまた一つ、小さく絶望した。走る車に触りたい、と思ったらもう、ケガをするしか仕方がないのだろうか。ケガで済めば良い方で、ヘタをしたら命がない。

これは、本当になにか対策をせねばなるまい、と思った。一番簡単なのは、娘の好奇心を封じることであるが、それは全く私の意に沿う事ではない。私はこれまで、いかに娘の好奇心を刺激するかという事に苦心してきたのである。好奇心のない娘など、娘ではない。

ではどうするか?と考えても、何もアイデアは浮かばない。死なれてしまっては元も子もないのである。一晩悶々としても答えは出なかったので、翌日、破れかぶれに職場で昼休みに事の顛末をぶちまけて「どうしましょう?!」と泣きついてみた。

すると子育ての先輩方は面白そうに笑いながら「そこを伸ばしてやれたらいいよね」などと言う。伸ばしたいけど伸ばしたら死ぬんですよ~と訴えると「もうそれは、理科の実験教室とかしかないかな。ああいうところで、安全に好奇心のガス抜きさせてもらったらいいと思うよ」というアドバイスをもらったのであった。

理科の、実験教室!!ブラボー!!

私は帰宅するとすぐに教室を探した。家から通えそうなところに2つ教室があった。、一つは毎週1時間、月に三回通うところ、もう一つは月に一回、3時間ぶっ通しで実験をするところである。

理科の実験、と聞いただけで行く気満々の娘に「どっちがいい?」と尋ねたら後者だというので、そこに通う事にした。翌日、先輩に「教室、申し込みました!」と報告したら「早っ!」と呆れられた。

それから今まで、娘はこの教室に嬉々として通った。「3時間が30分位としかおもえないよ!」と言って、蓄音機やダチョウの卵で作ったホットケーキを持って帰ってきたり、「豚の内臓は臭かった」と解剖の感想を話してくれたりした。いつもいつも、心から楽しそうだった。

理科の知識だけでなく、「失敗してもいいんだよ」「君は君でいいんだよ」というメッセージを常に発信し続けて、理科を通して子供の幸せ、自己肯定感を作ろうとしてくれたこの教室。娘は年度の途中から入れたが、今では年間キャンセル待ちが出る人気教室となっているようだ。それもむべなる事だなと思う、素敵な教室。

でもそれも、今月で卒業だ。娘が今日も走る車に触らずに生きていられるのも、この教室のおかげで感謝しかない。寂しいが、この教室での体験は、娘の血肉となってくれることを信じて疑わない。

肉詰めピーマンから始まった騒動が、理科の実験教室で終わる、不思議で素敵な出会いのお話。まさに失敗は成功の素であった。ありがとうございました。