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折り畳み傘

友人たちとの集まりの場に挨拶をしつつ入っていくと、ふいに

「あれ、そのカバンから出てる鳥の形したの、傘?いいね!」

と言われた。

 

今日は雨が降るかも、と思って念のために持ってきた折り畳み傘。何気にカバンに突っ込んでいて、持ってることさえこの時はもう忘れていた。

 

「これ、高校生の時から使ってる折り畳み傘。死んだおばあちゃんに買ってもらったやつ」

 

言いながら、ずいぶんと物持ちがいいなあ私、と思った。高校生の時からって、今何歳だ?とはいえ、別に祖母は何かの記念(誕生日とか)に買ってくれたわけでもなんでもなく、ある日なにげなく「あんたこれ使いなさい」と言って手渡してくれたような気がする。もちろん、今際の際に、形見として「これを…」とか言いながら手渡してくれた、とかそういうのでは全くない。祖母が死ぬのはこの傘をくれてから20年くらい後のことである。

 

多分、街に出たときに目について、かわいいから私に、と気軽に買ったのではないかと思うし、私も気負うことなく「ああ、ありがと」という感じだったはずだ。なにも覚えてないから。

 

折り畳み傘って、そういつも使うわけでもないし、何本も必要なわけでもないこともあって、以来、進学や結婚を経てもずっと私の手元にある。もらった時と同じように、特に「大事にしなきゃ」とか思うこともなく、財布やハンカチなど、ほかの持ち物と同じように「なくさないように」と気を付けながら持ち続けていただけである。

 

この傘は、古さのわりに状態がよく、パッと見、そこまで古いものとは思えない。シンプルな、ただの紺色の無地の傘だ。使い勝手も別にふつうである。だから今回、「高校生の時から」と自分で言って、改めて「そういや古いなこれ」と思ったくらいだ。

 

考えてみるに、折り畳み傘は「念のため」「一応」持つもののような気がする。雨が降っているときや確実に降るときは長い傘を持っていくので、折り畳み傘は「もし降った時のため」にお守りのように持っていることが、わたしは多い。

 

普段はあまり持ち歩かないが、行く先に何があるかわからないときに持っていく。だから海外旅行とか、そういうなにか特別な時にはいつも一緒。それがこの、折り畳み傘。

 

お守り、と書いたが、そういう意味では本当にお守りなのだな、と改めて思った。それをくれた祖母。死んでからのちも、その傘は今なお孫の私を守っているのだ。

 

こう書くとなんだか重いけど、結果としてそうなっている。祖母は喜んでいるだろうか?いやきっと、この傘のことなど忘れてしまっているだろう。

 

だからこの先も気負わず、この洒落た相棒をカバンの中に忍ばせて、私は旅に出るに違いない。持っていることさえ忘れながら。