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作りたい人、食べたい人

最近、誰かが作ってくれたご飯を食べる機会に恵まれた。

私は主婦なので、普段は自分で作って自分で食べる。なので、誰かが作ってくれたご飯はもう、それだけで有難く、美味しい。

そんな得難い機会をたて続けに得られた。まずはSさんに貸しスペースで食事を振る舞ってもらった。料理はもちろん絶品だったんだが、この時はさらに、その撤収までのプロセスも見せてもらった。

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感想は、「作るより片付ける方が大変だ」という、至極当たり前すぎることだった。でも、自宅だったらやらなくてもいいようなこともこの時は片付けに含まれていたから、完全に的外れと言う訳でもなく、正確な感想は「自宅以外で料理を振る舞うには、普段以上に気合が必要なんだな」であった。私にはできないなあ、すごいなあと思った。

片づけも最後になった時、彼女が布巾で作業台を肩幅いっぱい、ぐっぐっと力を込めて拭きあげる姿が美しかった。映画「かもめ食堂」のラストシーンみたいだった。

私も料理はする。嫌いじゃないと思うしそんなに下手でもないと思う。でも、片付けが苦手だし、嫌いだと言ってしまってもいい。汚れた食器をそのままにしておくことはさすがにないが、私の片付けに「拭きあげる」という動きは普段なかったなと思った。最低限片付けたら、もうコーヒーか何か飲みながらゆっくりしたい、と思うのだ。

でも、「家に帰りつくまでが遠足」というように、やはりここまでやるのが料理なのだ。片付け、ではなくて、ここまでが「料理」だと考えなくてはいけないんだろうなあ、と痛切に思った。

それからしばらくして、今度はサプライズでランチをごちそうになった。

会議室でのイベントで、昼時になったのでそろそろ食べに行くか、何か買って来るか、どうしようかなと思っていた頃、そこにいたAちゃんが私を手招きして「ちょっと、ランチ作ってきたから、机並べて出してくれない?」と言った。

え、え?と思いつつも急いで机を一直線に並べる。その間に彼女は大きな包みをいくつももって来て、中身を出しはじめた。

おにぎり4種類、だし巻き卵、から揚げ、ポテトサラダに根菜の煮物。それも大量。余裕をもって並べたつもりの机は、本当に料理でいっぱいになった。

自己満足だから。食べてもらえたらいいの。

と、彼女はサラッと言う。それでこれだけの量作れるのかと驚愕した。何時間かかったの?と聞くと、たいしてかかってないよ、2時間くらい?という答え。

マジか!!と私はまたも驚愕した。私も実は今朝、娘の部活用のお弁当を作ったのだ。おにぎり6つ、卵焼きにウィンナー、プチトマトにから揚げ。から揚げは食中毒対策で前もって作って冷凍したのをそのまま入れたから、今朝はおにぎり作って卵焼きとウィンナーを焼いただけだ。それでも40分かかった。しかも寝ぼけていたので、おそらく卵焼きに味をつけるのを忘れたと思う。これは、だし巻きを食べて「おいし~い!」と思っているときに気がついたのだけど。すまん娘よ。

味の感想を言うと、Aちゃんはそこにある料理の工夫を教えてくれる。しらすと梅のおにぎり、しらすはそのままだと生臭いけど、ゆでると水っぽくなるからレンジでチンして乾かしたの、と楽しそうに言う。

それを聞いて、私は料理をするものとして本気で驚愕した。マジか!!どんだけ手間かけてるんだ!!私には無理だ!!と思った。

私はマジかマジかと言いながら、たくさん食べた。どの料理にも、さりげなく手間がかかっていて、私は両手に持てるだけの白旗をもって振り回したいくらい、脱帽しまくっていた。

私は遠慮なくたくさん食べた。その場にいたみんなも楽しそうに食べていた。そしてAちゃんはそんな私たちを見ながら楽しそうだったが、料理はあまり食べていないように見えた。

作りたいの。

と彼女は言っていたが、本当にそうなのだと思った。そして唐突に、私は「食べたい人」であり、彼女は「作りたい人」なんだと思った。もっと正確に言うと、自分は「作りたい人」ではなく「食べたい人」だったんだと気がついてしまった。

これまで、自分は料理好きだと思っていたけれど、本当は料理が好きと言うよりは、単に自分が美味しいものを食べたいだけなのだ。

食べたいという欲求が料理のめんどくささを上回っているから作るけれど、いつもその二つは天秤にかかっていて、いかに手間を省くか、食べるというゴールに向かって早く行けるかと言うことに腐心していたのだと気がついた。

最近ずっと、料理の上達に行き詰まりを感じていた、その理由が分かった。最終目的が「食べる」なのと、最終目的が「つくる」とは、おなじ料理をするにしても、やはり到達点は違ってくるのに違いない。

これで、長い間の疑問が解けた。なぜ、片付けが下手なのか。料理は嫌いじゃないのに手間を惜しみたがるのか。何となく、自分の料理の腕に限界を感じていたのはなぜなのか。誰かに料理を振るまうのが、どうしてこれほど大変だと思うのか。

食べたいから。自分が食べたいから。食べるというゴールには、出来るだけ早く行きたい。そして食べ終わった後の片づけには興味がない。もし自分より料理好きなひとがそばにいたら、私は料理はしないだろう。食べられたらそれでいいのだから。

ああ、もう絶対にSさんやAちゃんのレベルには到達できないんだ、と私は観念した。いくら勉強してもダメなのだと分かってしまった。いくら憧れても、私にはかもめ食堂のラストシーンの動きは出来ない。

SさんもAちゃんも「作る人」、そして私は「食べる人」。

それが分かって、これまで「どうしてできないんだろう?」と自分を責めるような気持ちが薄れて楽になった。それと同時に、やっぱり私はどこまでも行動原理が自分本位なんだと気がついて、軽く凹んだ。