hanakabin

おばちゃんの条件

女性にとって、見かけというのはいつも大問題だ。若く見られたい、きれいに見られたいというオトメゴコロは、実年齢に関係ないもの。

10代、20代の頃は文句なく若いので問題はないが、30過ぎたころから、それまで「お姉さん」「お嬢さん」だった周りからの呼びかけに、微妙なバリエーションが出てくる。「奥さん」とか「おばさん」とか。

そうして私たち女性は、こういった無意識の呼びかけによって、自分が社会からどんなふうに見られているのかを悟るのである。もちろん、最も怖いのは「おばさん」である。同じ歳でも「お姉さん」の人と「おばさん」の人が出てくる30代。私の、そんな頃のお話。

 
休みの日にスーパーで買い物をしていたら、同僚に会った。小学校低学年の息子さんが一緒だった。ちょっと挨拶をして、息子さんにも話しかけたりする。何気ない場面だ。彼が

「おばちゃん、今日の晩御飯、何にすんの~?」

と、関西の子どもらしい、人見知りしない調子で話しかけてきた。その、何気ない会話の中の「おばちゃん」というワードは、実は私の人生で初めて自分に対して投げかけられたものであった。突然、刀の切先を喉元に突き付けられたような気がして「うっ」となりながらも、でも、これくらいの子供にとっては30歳なんてものすごいおばちゃんであることには違いないよなあ、と思った。

自分だって子供の頃の事を思い出せばそうだった。自分が30歳になるなんて信じられないくらい遠い話だったものだ。もちろんこの子は私の年齢なんか知らないだろうけど、これくらいの子にとってのお姉さんといえばせいぜい高校生くらいまでだろう。そう、決して私の見かけがおばさん臭いという訳ではない、はず!と自分を慰め「そうやねえ、今晩のご飯ねえ」と笑顔を作って返事をしようとした、その時。

「違う!この人はおばちゃんちゃうで!!」

母親である同僚が、ものすごい勢いで息子を諌めたのである。

「この人は、結婚してはるけどまだお子さんいてはらへんからおばちゃんと違う!!」

あ~。

え~と…。

私は苦笑した。気遣いは有難い。有難いが、私に子どもがいないからおばちゃんではない、ということは、逆に年齢と見た目ではもう立派なおばちゃんだと言われてしまったような…??

私もちょっと困惑したが、いきなり早口でまくしたてられた男の子もポカーンとしている。そりゃそうだ。私に子どもがいるかどうかなど、知る訳がないのである。しらんがな、と私はその子に代わって内心で突っ込んでおいた。

 

買い物を済ませて家に向かいながら、「そうか、おばちゃん、という生き物になるには、生物的な条件と、社会的な条件とが必要なのか」と考えた。そうして私は確実にもう、生物的な条件は満たしているのか。完成まで片足を突っ込んでいるという訳か。

しかし、このまま子どもがいなかったらどうなるのだろう?永遠におばちゃんになることはないのだろうか?いやしかし、さっき見たように、私は見事に子どもから「おばちゃん」呼ばわりされたぞ?人は例外なく歳をとる。となれば、30代以上の女性はみんな、半分は「おばちゃん」で出来ているということなのか。じゃあ逆に、二十歳前後で母親になった人はどうなのか?それでもやっぱりおばちゃんなのか?そうなのか?ようわからん。

それから数年後、私は母親になった。

出産後の嵐のような日々が一段落した時、ふと「ああ、私、これでとうとう本物のおばちゃんになったんだなあ」と思ってしまった。おばちゃんの必要十分条件を満たしてしまったのである。

いやいや、ここからは気力でしょ、とよく分からない言い訳をしつつここまで暮らしてきたが、気持ちの上では完全に観念している。ええそうですともおばちゃんですとも。

ではあるが、そこで開き直って自分の事を「おばちゃん」と自称することは戒めている。それをやってしまうと、ウエストがゴムのスカートをはいてしまったような、もういろんな意味で後戻りができなくなりそうな気がするからだ。

しかしそうは思っていても、危ないのは子供の友達だ。子供の友達に会うと、何気なく「おばちゃん」という言葉を使いそうになる瞬間がある。たとえば

「重そうな荷物だね。おばちゃんが持ってあげようか?」なんていう風に。

私はそんな時、注意深く「おばちゃん」を「私」に変換して発言する。そう、実は本当にこれまで一度も、自分で自分の事を「おばちゃん」と言ったことはない。

悪あがき。そう、笑ってしまうほどの悪あがきである。ではあるが、それだけとは言い切れない。

「おばちゃん」と自称するときの話し相手は子供である。自分のことを「おばちゃん」と言うとき、そこにはなにか「大人と子供」の上下関係をわざわざ作り出しているような気がして引っ掛かるのである。それに「おばちゃん」というのは「〇〇ちゃんのママ」という意味合いもあるわけで、どこか主体性がないような気もする。そこで「私」と言えば、私という個人が、相手と同じ目線で話せるように思えて、私は「私」と言うのが好きだ。

重ねて言うが、自分がおばちゃんとして完成してしまっているのは、もう十分に承知している。そこは否定はしない。でも、唯一自分でコントロールできる自分の口でだけは、自分の事を「おばちゃん」というのはやめようと思うのである。

色々、理屈を述べてみたけれど、まあ要は、「オトメゴコロ」の悪あがきである。