sio

塩味が大事 豆ごはん編

さて、今でこそ娘の計算ミスを一目で見破れる私であるが、もちろんはじめからそうだったわけではない。料理どころか、家の手伝いさえもろくにやったことがなかったので、私の料理体験は家庭科の調理実習がスタートになる。

 

中学の頃、イワシをさばけなくてトホホな思いをしたことは以前に書いたが、

「M君のこと」

M君のこと

高校の時にもやっぱりそんな体験があった。それは高2の家庭科の調理実習。高校ともなると家庭科は女子だけの科目で、その時間男子は柔剣道をやることになっていた。2クラス合同で、女子だけの授業はいつもやたらと賑やかで楽しかった。

 

その日の献立は、五目野菜炒め、みそ汁、豆ごはん。私は子どものころから無類の豆ごはん好きで、しかもこの中では一番作るのが簡単そうだという理由から豆ごはん担当になった。豆をご飯に入れて炊くだけなのに、それを二人でやることになっている。楽勝である。

一緒に担当になった和子ちゃんと、お米をとぎ、水加減をする。豆はさやから出しておく。後は他の献立と同時に仕上がるようなタイミングで、豆と塩を鍋に入れて火にかければいいだけである。

私はのんきに他のみんなの作業を観察したり、手伝ったりしていた。楽勝である。そして、もうそろそろかな、という班長のゴーサインが出たところで、鍋に豆と塩を入れようとした、その時だった。

「ねえねえ、豆ごはんの塩の量ってさ、6倍するんだよね?!」

隣の班の綾ちゃんがそう言って駈け込んで来たのである。

え、そうなの?と和子ちゃんと顔を見合わせる。綾ちゃんはほら、と言って教室の黒板を指さした。

黒板には今日の実習の手順と材料が板書してあって、その一行目には〈1人分〉と書いてある。そして豆ごはんの塩の分量は大さじ1、とあった。私達の班は6人。つまり…

あ~、そうだねえ、6倍、するってことだよねえ。

私と和子ちゃんは考え考えそう言った。綾ちゃんはうん、やっぱりそうだよね、と納得して、自分の持ち場に帰って行った。

良かったねえ、教えてもらえて。そんなことを言いながら、二人で塩を鍋に入れ始めた。数を間違えないように、二人で慎重に数える。

い~ち、に~い、さ~ん

真っ白な塩が、さらさらさら~っと鍋に流れていく。何だか引っ掛かるものがあるが、それが何か分からない。

「ちょっと、多くない?」

と、和子ちゃんが言った。私もそう思う、と答えた。いったん手を止めて、二人でもう一度黒板を眺める。塩大さじ1、と、やっぱり書いてある。

「大さじ1だよねえ」「1人分だよねえ」

やっぱり、大さじ6でいいってことなんだよね、と二人で確認して作業を再開する。

よ~ん、ご~ぉ、ろ~く!

それからその鍋を火にかけて、豆ごはんは無事に完成した。

 

「いただきま~す!!」

間もなくすべての料理が出来上がり、楽しいランチタイムになった。

私と和子ちゃんが作った豆ごはんは、ご飯も豆もつやつやで、実に美しい仕上がりだった。

 

「野菜炒め、美味しい~!」「みそ汁も、おいし~い!!」

みんな料理を一口食べるごとに美味しい美味しいを連呼する。豆ごはんだって、美味しいはずなので、私はワクワクしてみんなの反応を待った。

「豆ごはん…う、うううっ…!!!ちょっとこれなに、しょっぱいよ~!!」

それまで相好を崩していた班のメンバーが、豆ごはんを食べると「しょっぱい」と言って顔をしかめた。え、しょっぱい…?いやまあ、塩気は多少効いていた方が美味しいってもんじゃないの…?と思って半信半疑で食べてみると、それは本当に度を越したしょっぱさであった。ちょっとこれは、食べられない。

 

なんでなんで…?!だって塩も6倍するんでしょ?!だからちゃんと大さじ6入れたよ?!

一体どれくらいの塩を入れたのか、と聞かれ、私と和子ちゃんが口々にこう言うと、班長の石田ちゃんが「塩は6人分で大さじ1だよ」と言う。え、でも黒板の分量は1人分でしょ?と食い下がると、彼女は板書の一番はしを指さした。そこには小さく、緑色の黒板に緑色のチョークで

 

※塩の分量は6人分

 

と書いてあった。うそ、なにそのトラップ!!

私は隣の班に飛んでいき、綾ちゃんに豆ごはんの出来はどうかと聞いた。綾ちゃんは可愛い笑顔で

「美味しくできたよ」

という。塩、大さじ6入れたんじゃないの?!と詰め寄ると、涼しい顔で

「あああれね、塩だけ6人分で書いてあるんだよね」

と言った。

 

おお~い、そこは、言いに来てくれんのか~い!!

 

私はがっかりして自分の席に戻り、みんなに申し訳ないと敗戦の弁を述べて、責任をとって残りのご飯は持って帰ります、と言った。そして、そのしょっぱくて食べられない豆ごはんをおにぎりにして、家に持って帰った。さすがに、6倍の塩分量はしょっぱすぎた。

 

帰宅して、おにぎりをダイニングのテーブルに出し、親にかくかくしかじかで、と事の経緯を報告する。

 

しかし、どうするかねえ~。これ、ちょっとしょっぱくすぎて食べられないんだよね…と、そんなことを言っていた時、玄関先で「ただいま~」と声がして、兄が帰って来た。

 

ガチャ、とリビングのドアが開き、兄が入って来た、「お帰り、ご飯は?」という母に、兄は「いい。これからすぐバイトに行くから」と言うと、荷物をどさっとその場に置きながら

「お!豆ごはん!も~らいっ!」

と言っておにぎりを二個取った。

「あっ、それだめ!それは…」と言う私を目で止めて、

「ケチケチすんなって~」と笑ってそのまま廊下に出て行った。

 

いや、ケチで言ってる訳じゃないんだけどさぁ…と思っていると、間もなく玄関先から

「うわぁ~!!なんだこれしょっぺえ~!!」

という、兄の悲痛な叫びが聞こえてきて、私は思わず大笑いしてしまったのだった。

 

人に歴史あり。今でこそ娘に偉そうに講釈を垂れ、米三合に塩大さじ6などあり得ないと分かる私であるが、実はこうしていろんな人に迷惑をかけてきたのである。そうやって、人は成長するのだ。たとえきっかけが、もらい事故のようなものであったとしても。

 

そのうち、私が娘の失敗に付き合う時が来るのだろう。それはそれで、楽しみではある。