death

「『死』とは何か」を読んで

本屋でふと目についた「『死』とは何か」を読んだ。

表題通り、死とは何なのかを考える、イェール大学の人気講義を本にしたものである。

例えば「どういう状態を『死んでいる』というのか」を考えるところでは、身体機能が停止したら死んでいるのか、それとも人格としての活動がなくなったら死んでいるのか、などについて論じられる。いや、ふつうに死んだら死ぬでしょ、位にしか考えてなかった私は、それなら「身体機能は動いているけど人格としての活動は停止していて、でもいつでも活動再開できる状態はどうなのか?例えば寝ている時」などと言われると「寝てる時は寝てるんじゃん」と思いつつ、別の状況がないか考えてみたりしている。

まあ、はっきりした答えが示されることはあまりなく、屁理屈コネまくりと言われればその通りの本で、夫には「生きてく上で一ミリも役に立たん本やな」と笑われたものの、考えることが好きな人にとっては最高のおもちゃだろうと思う。実際、私にとってはそうだ。そして、死について考えることは生についても考えているということにもなると思うので、生きてく上で8ミリくらいは役に立つこともあるんじゃないかと思わなくもない。

死について考えるとき、例えば死は悪いものか?を考えるとき、死は自分自身を語らない、語ることはできない。いつも生の側からの見方と推測でしかないのがややこしいところだ。

 

私には多分これが死ぬ瞬間だな、と思う体験と、あれはきっと死んでいた状態だなと思う体験がある。全身麻酔での手術だ。

ストレッチャーに乗せられて手術室に入ると、頭の横に立つ看護師さんが「はい、ガスが来ますよ~。ちょっと冷たいですよ~」と言いながら私の鼻と口をマスクで覆った。するとそこからひんやりする気体が流れてきて「おお、ホントに冷たいぞ?!」と思ったところまでは覚えている。

 

 

すごく遠くで、誰かが私を呼んでいるのに気がついた。何度も何度も呼んでいる。

誰?私はこんなにも気持ちよく寝ているというのに、なぜ起こすのだろう?そう、私は今、深海の底で泥のように眠っていた。そんな気分だった。いや、実際に泥だったと思う。暗く、静かな無の世界そのものだった。眠っていた事にさえ気がつかないほどに。だった、と思うということは、私はもはやそうじゃないということだ。そうか、私は眠っていたのか。

私を呼ぶ声はあっという間に大きくなった。耳元で複数の声が私の名を呼んでいる。そして同時に私の体をゆさゆさ揺らしているではないか。ああもう、一体なんだというんだ!!

私は目を開けた。まぶしい。

「大丈夫ですか~?」

看護師さんが言った。大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。ものすごく気持ちよく寝ていたのに何で邪魔するんだ。もうちょっと寝かせておいてくれ。

私は不機嫌だった。後にも先にも、あれほど寝起き(と言ってしまおう)の悪かった時はないと断言できる。どうして起きなくてはいけないのかが全く理解できなかったし、一応目覚めたとはいえものすごく眠かった。

 例えるなら深海魚が一気に水面まで引き上げられたような気分で、気圧の変化か水圧の変化か何だかよく分からないが、とにかくものすごくだるい。朦朧としていて喋ることなどできないが、内心では「ちょ、頬骨のあたりから浮き袋飛び出してへん?」と聞きたいくらいであった。

死の瞬間というのはおそらく、麻酔で眠りに落ちた時と似ているのではないかと思う。事前には「いくつまで数を数えられるかな」などと思っていたが、そんな暇はなかった。眠ったという自覚すらない。そして、死んだ状態というのは本当に、麻酔がかかっていたあの状態なのだろう。「深海」だの「泥」だのと表現したが、それは私が私を呼ぶ声に気が付いた、つまり目覚めたからこそ表現できたのであって、ガスを冷たいと思ってから「声」に気がつくまでの数時間は、本当に全く完璧な「無」であった。「眠る」という表現は同じでも、毎日とる睡眠のそれとは濃密さと深さにおいて一線を画するものであった。

なので、この体験から個人的には、死そのものは完全な無であろうと思う。無である以上、そこに良いも悪いもないのである。良いとか悪いとかの評価はやはり生きている側からの相対的で社会的な意味づけだ。

私はそのうち本当に死ぬ。誰もがそうであるように。普通に生活を送る今、死はやっぱり怖い。でもそれは、死ぬまでのプロセスが痛かったりしんどかったり、はたまたいろんな手続きがめんどくさかったりするために嫌だな、怖いなと思うのであって、実は死ぬ瞬間というのはもう、それほど怖くはない。そうして、死んだ状態というのは魂とかがあって、そこら辺を飛び回りつつ自分の体を見ている、なんていうのはおそらくないだろうなという気がしている。死とは無。ただそれだけだろう。もし実際とは違っていたら、またレポートすることにしよう。